早期教育とはいつの時代から始まったものか、ご存知でしょうか。
よく耳にする早期教育。いったいいつの時代に、どのような背景があってうまれたのでしょう。
調べてみると意外にも歴史は浅く、政治的なものが絡んでいたことが分かります。
教育の歴史とともに、早期教育の始まりをみていきます。
早期教育の始まり
最初の人工衛星、ロシアの「スプートニク」が1957年に地球の周囲を旋回したとき、西側世界(ヨーロッパ)ではソビエトの科学技術に驚きました。
「スプートニク・ショック」です。
それは徹底的な改革運動を引き起こしました。
その際、とりわけ次世代の教育に特別な意義が認められたのです。
幼児教育は経済的目的と社会政策的な目標設定によって、教育制度全体のあたらしい方向付けが要求されました。
現代的、科学技術的世界が要求するものに対して、子どもたちをよりよく適合させること。
そして、それによって政治体制、世界的競争において、長期にわたって有利な立場にたつこと。
このことが、教育制度に期待されたのです。
これが早期教育の始まりです。
そのため、従来通りの幼稚園では、単なる保護施設であるとか、才能を促進するための適切な対策が欠けているために、子どもを人為的にダメにしてしまうとして批難されるようになりました。
こうして「才能を伸ばす」ということが早期教育のスローガンとなりました。
幼稚園は、貧しい家庭のための援助として理解されていた社会教育的な施設から、3歳から6歳のあらゆる子どもが通う一種の「正規の施設」のなったのです。
そのため、1965年から1980年の間に、幼稚園への入園申し込みは32%から約80%へと向上しました。
幼稚園は実際に、一般的な教育システムの第一段階として認知されるようになったのです。
反権威主義的共同保育所と新しいカリキュラム
教育改革の初期の段階において、幼稚園は社会学者や発達心理学者、政治家、政治経済学者らが自分たちのさまざまな理論を実際に適用する場としてみていました。
それに対して、フレーベル教育学、モンテッソーリ教育学、ヴァルドルフ教育学などの古典的教育学理論の信者たちは防衛的な姿勢をとりました。
とりわけ、世間では早期学習の重要性を説く主張が熱心に取り上げられ、子どもを計画的に早期に促進することが時代の要請だったのです。
就学前教育運動のプログラムとしては、あらゆるメディアによって宣伝された早期読み方学習や学問分野の基準への入門手ほどきなどがありました。
こうしたプログラムは、出版社やおもちゃ製造業が就学前教育という新しい市場を見いだし、限りなく多くの「学習教材」をもたらしました。
1960年代終盤になると、学生運動による反権威主義的共同保育所はこうした「成績」に目標をおいた教育を拒否しました。
そして、精神分析やネオマルキシズムの理論に立ち戻ることによって、子どもと大人の関係を新たに構築しなおそうとしました。
抑圧的でない接し方、
清潔さや整理整頓の訓練の放棄、
幼児の性の肯定、
大人や他人が決めた生活環境に対して子どもの要求を貫徹させること。
これらによって、ブルジョア的な強制から子どもを開放することができると考えられました。
しかし、こうした運動は、報道機関からは鋭く攻撃されたため、学生運動の範囲を超えて広がることがほとんどできませんでした。
まとめ
早期教育がどのような時代背景の元に生まれたのか、このようにみていくと、歴史的に浅いことと政治的な意図があったものだということが分かりました。
しかし、こういった背景を知らずに時代は流れ、日本でも早期教育が推奨されています。
教育とは「人間を育てる」ことです。
「成績」に目標をおいた教育ではなく、自らの意志をもった人間を育てる教育であってほしいと思います。
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