わらべうたの教育的効果とは?わらべうたのもつ3つの方向性 

わらべうた

現代の子どもたちの日常生活には、音楽があふれすすぎているといっても過言ではないでしょう。テレビやお店で流れている音楽は子どもの耳の残り、ずいぶん難しい音楽を現代の子どもたちは歌っています。

メロディー、リズム、歌詞など、なかなかこみいっているような歌でも、器用に歌っている子どももいます。けれども、テレビで歌われたり、幼稚園や保育園で教えられたりする歌は、子どもたちに本当にふさわしい歌ばかりでしょうか??

幼稚園で使われる歌は、本当に子どもにふさわしいものでなくてはなりません。そして、ふさわしい歌を選ぶには、子どもの姿を正しく把握していなければなりません。

子どもが歌をうたうときに、力んだり、どなったり、、、不自然な発声をしていませんか??音程を正しく歌えていますか??高い音になったとき、声が上がりきらずに、音程がはずれていませんか???

子どもが出会う音楽の影響は、とても大きいものです。有名な音楽教育家、コダーイ・ゾルターンも、このことについて「もし、私が最初に出会った音楽が俗悪なものだったら、今日の私はなかったであろう」と述べています。

ここでは、教育の方向性、わらべうたの教育的視点について紹介していきます。

 

現代の教育の方向性

現在、人類はいまだかつて経験したことのない、大規模な生活形態の変化の真っただ中にいます。それは、人類が爆発的に進歩し、それに伴って経済運営の形も大きく変わり、その中で生きる個々の人々の生活、社会の形態をも大幅に変わったからです。

その中に生きる私たちは、日々それらに順応し、あるいは押しやられ、追い立てられて動き回り、働きまわり、感じたり、考えたりしています。その間にも、子どもたちは生まれ、育ち、次々と新しい大人の世代へと成長していきます。

成人した大人は、ある社会的変化に対して、いちいち自分の意識のピントを合わせ、自分のとるべき態度をはっきりさせなくても生きていけるものです。けれども、子ども(未完成の人間)というものは、人間社会の場合、その社会に生きているというよりは、その社会に住んでいる大人たちの意識の世界に生きている部分が大きいのです。

今日のような大きな変化、転換の時代には、大人の稀薄になった意識の結果として大人自身は、自分のことでそれほど困らなくても、子どもたちはどんなふうに”育っていったらよいのか?”わからない状態が安易に生まれてきます。

つまり、子どもの側から見れば、「大人によって仲介されるはずの現実」がさっぱり仲介されてこないという状態なのです。新しい社会の要求に答えられる教育はどのようなものか。

それは、子どもと一緒に悩む現場の教師、教育者だけでなく、父親、母親の意識の改革、そして国全体が取り組もうとする姿勢、努力が大きく預かっているといえます。そのいくつかの方向は、次のように言い表すことができます。

 

  • 乳幼児期が、人間の一生の人格形成に与える役割が大きい時期である
  • 家庭、家族の核化、孤独化は避けられず、家庭、家族が長いこと果たしてきた「社会の学校」「労働の学校」「生活習慣の学校」の役割は終わった(すべての子どもは、就学前に集団教育の場に入ることが望ましいという考え⇒集団教育の中で占める保育⇒育児のウェイト、内容的重要さの増加)
  • 子どもに個々の基礎的知識や技術、技能を教え込む時代は過ぎた(子どもに最新の知識、技術を教えても、その子どもが成人するまでには、そのようなものはすでに古くなっている)
  • 大人が子どもに伝えられる、決して古くならない唯一の知的財産は、自立した、合理的思考の能力である

 

わらべうたが、子どもの人格の形成にどのように関わっているかは、そもそも人格の形成は、行為をとおしてしか行われないという原則に従って、次の観点から見ることができます。

  • 自立性
  • 能動性
  • モチベーション(動機付け)

しかし、人格はいろいろな風に形成されうるのであり、行為にもいろいろあります。子どもは、清潔で、無駄のない、人間らしい行為だけを主とすることによって、人格というふさわしい人格へと形成されていきます。そして、子どもにとっては行為ではなく、ただの”あそびごと”にすぎません。したがって、子どもの行為、活動は次の要素に分けて考えることができます。

  • 身体的
  • 知的
  • 情緒的(意志的)
  • 美的
  • 倫理的

わらべうたは、子どもの自立した思考を助けはしますが、直接それを目的とはしません。子どもの美的行為に関する教育が目的としなければならないことは、それをすることにとって、子どもの内に、音楽的、視覚芸術的、文学的心象、形象を形成しうるか否かという点にあります。

>>コダーイ芸術教育研究所:出版物参照

【わらべうた】教育の3つの方向性

言うまでもなく、音楽によって子どもの情緒は豊かに、安定して育ちます。それだけでなく、音楽は同時に子どもの知的発達にも、身体・運動機能の発達にも、社会性の発達にも大きく役立ちます。

子どもの発達すべての面に大きな影響力をもつ音楽であるからこそ、保育者はその選択や用い方に細心の注意と準備をしなくてはなりません。私たちは、自分たちの伝統文化や、伝統音楽をどのように考えているでしょうか?日本の伝統音楽だから貴重だというのではなく、わらべうたにはたくさんの教育的メリットがあります。

わらべうたのメロディー【音楽】

わらべうたはそもそも、子どもの遊びから生まれた歌ですから、子どもたちが無理なく歌える音でメロディーが形づくられているのは当然のことです。しかし、現代のよく聞かれるような、高音域の複雑なメロディーに慣れた耳には、単純すぎてつまらなく感じることもあるでしょう。

けれども、もう一度、子どもの発達段階を踏まえた視点から見直してみてください。個人差もありますが、幼児期の子どもの声域は、5度から広くても8度ぐらいです。

 

幼稚園や保育所で歌われている歌のほどんとは、これを超える高い音、低い音が使われています。声域に会わない音ははずれてしまいます。これは、明治以来(1882年)以来の教育方法でしたから、もう100年以上たち、世代にすれば3世代にわたります。けれども、近年の研究の結果では、私たちが先祖から受け継いだ音楽感覚は、そう簡単に消え失せるものではないことがわかりました。

たとえば、日常の呼びかけや、はやし言葉です。

♪ はなこちゃん あそびましょ

♪ あーしたてんきに なーあれ

 かくれんぼするもの よっといで

この呼びかけ言葉とも、はやし言葉ともいえる音型は、わらべうたの要素で成り立っています。つまり、わらべうたの原型ともいえるのです。

 

わらべうたにピアノは必要??

子どもの遊びに合わせて、室内、室外、どこでも即座に歌うことのできるのがわらべうた。子どもと向き合って、お互いの声をよく聞きながら、歌う楽しさを表情にもあらわして歌うと、うたの心がよく伝わるでしょう。

もともと、ピアノと人の声とは異質です。ピアノの音から上手に音程を出せない人でも、人声からだと、もっとたやすく同じ高さの声を出すことができます。

聴覚、発声能力、認識能力全てが発達中の子どもにとっては、ピアノに合わせて歌うこと自体が、大人が想像する以上に難しい課題だといえます。ピアノを使わないで歌う経験を、幼稚園や保育園に取り入れられて欲しいと思います。

うたの内容を、お話のようにイメージをもって歌うとき、うたの楽しさはうんと増します。子どもと顔を合わせて、お互いの表情を見ながら歌う機会がもっとあるといいですね。必要なときに、子どもの声の高さに合わせて、すぐに歌えるということは、教育的にみて大きなメリットです。

子どもたちは、歌い、遊ぶことによって、例えば付点符・三連符・五連符等や、曲の途中で拍子が変化するような難しいリズムでも、知らず知らずのうちに習い覚え、使いこなしていきます。たとえば、よく知られているてまり歌「あんたがたどこさ」でも、途中で拍子が変わったり、複雑なリズムが使われたりしていますが、みんなそれとは気が付かずに遊んでいるでしょう。

 

>>幼児教育になぜ音楽は必要なの??子どもにすすめる音楽教育の種類とその影響

 

母子のぬくもり【心理学的特徴】

子どもが遊びを通して学び、成長していくということは、心理学・教育学からも立証されています。わらべうたは、祖母から、そして母からわらべうたは受け継がれてきました。

愛情をもってうたわれる素朴な歌や、あやし言葉は、乳幼児にとっては、なにものにもかえがたい貴重なものです。

肉親のこのような関わりこそ、音楽教育の望ましい第一歩です。このことについては、近年の多くの研究が、心理学の方面や、音楽教育の方面からなされています。

いわゆる「歌」の形になっていないあやし言葉でも、乳児にとっては立派な歌です。わらべうたの節まわしに慣れておくと、自分の言葉を使って歌うこともできるようになります。家庭で、大好きな人たちと一緒に歌うことは、本当に素晴らしいことです。そこで培われた人格は、安定感のある円満なものへと発達するでしょう。そしてこれこそ、音楽教育の大切な基礎でもあり第一歩になるのです。

 

>>【わらべうた】の効果とは?子どもを育てるわらべうたあそび

遊びから生まれたわらべうた【社会性・認識力・運動機能の特徴】

 

【判断力や敏捷性を養うこと】

遊びなかには素早く判断したり、行動しなければならない場合がたくさんあります。具体的に例を挙げてみましょう。

〇遊びのルールや順序を守ること。

ルールや順序を守らなければ、一緒に楽しく遊ぶことはできませんし、仲間からも指摘されたり、直されたりします。

〇協力すること

みんなで一緒にするから、一層楽しいということに気づきます。一緒にいる間には、知らぬ間に助け合い、協力しあっているのです。

 

【語を増やし、発声を明瞭にすること】

繰り返し歌う間に、新しい言葉も覚え、発音のお稽古にもなっています。幼児語的な発音は、ゆっくり丁寧に繰り返し直すことが大切です。間違えてしまっても、大人がまねしたり、笑ったりしないよう気をつけましょう。

 

【前後左右などの位置関係や、方向感覚を養うこと】

日常生活では、前後左右に繰り返し動くことはまれです。右・左の感覚も、体験を通して確立します。鬼が目をつぶる遊びが多く含まれていますが、聴覚だけに頼るとき、方向感覚はより鋭敏に働きます。

 

【他者やほかの立場への思いやりを持つこと】

わらべうた遊びでは、よく鬼の役割があります。「鬼」はいうまでもなく、優位の立場ではありませんし、むしろグループの中で孤立した存在です。けれども、鬼はいつまでも鬼ではなく、交代して遊ぶものです。立場の代わったときの感情も、遊びの中で体験することができます。

 

音楽に合わせて体を動かすことは、子どもにとってごく自然なことです。そして、また体を動かすことによって、よりよく音楽を体験・理解できるのです。大人にとっては何でもない動作。例えば歌に合わせて手をたたく、うたに合わせて歩くなどの簡単な動作でも、子どもにとってはクリアしなければいけない、いくつかの課題と段階があります。

歌に合わせて手をたたいたり、歩いたりするためには、まずよく「聴く」ことが必要です。単に「聞こえる」のとは異なり、意識集中・認識・弁別などの知的作業が、知らず知らずに働いています。認識した音楽を記憶し、それを再現するため、仲間と同じ高さで歌い、同じ速さで動くためにはさらに高い知的・運動的能力が要求されます。

文章にすると、複雑に感じられますが、わらべうたはあそびですから、このような集中・認識・弁別・再現をいわゆる学習の場ではなく、子どものごく日常の場で体験・習得できるのです。

そして、学習の場ではありませんから、誰が一番などの評価やそれに伴う緊張や不安・劣等感もありません。みんなのびのびと、それぞれのレベルで楽しみつつ習得していくのです。

 

このように遊びを通して、社会性・認識力・身体運動機能の発達が助けられます。そして何より素晴らしいのは、これらは大人が作り教えるものではなく、子どもたちから生まれた、子どもたちのものだということです。仲間との遊びを通して、知らず知らずに多くのことを経験し、学び取っていきます。

>>わらべうたの運動機能効果は??遊びの中で子どもが身につけるべき大切なこと

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

子どもたちの遊びの中からだんだんと姿を消しているわらべうたですが、読み解いていくと、とても深く、子どもたちが受け継いできたものを感じることができました。自分が子どもだったときは、知らず知らずのうちに遊んでいたわらべうた遊びに、こんな効果があったとは!!

まさに目からうろこです!子どもの間で伝えられてきた「わらべうた」ですが、異年齢同士の子どもが遊ぶ機会も場所も見かけなくなっています。今の子どもたちの遊びを見ると、大人が作ったものに囲まれ、遊ぶ場所も見つけることが難しくなっているように感じます。

わらべうたの楽しさを伝える時期は乳幼児から学童まで。子どもから子どもへ・・・語り継ぐことが難しくなってしまった今、大人が子どもたちのためにしてあげられることはなんでしょう?未来の子どもたちに残していきたい遊びだと思いました。

スポンサーリンク

Verified by MonsterInsights
タイトルとURLをコピーしました