子どもがテレビを見ることに対して、疑問を持ったことはありますか?「テレビは子どもの脳に悪影響」だとか、「スマホ育児をさせない」という言葉をよく耳にするようになりました。ではなぜ、子どもにテレビを見せるのはよくないのでしょうか。
日本で最初のシュタイナー幼稚園の創設者である高橋弘子さんが、子どもたちの取り巻く環境について、実践の中から感じたこと、子どもたちにとって本当に必要なものはなにかをお話してくださいました。
文字が読めることの弊害
幼稚園で、みんなと一緒に動けなくて、自分勝手にふらふらしている子や共同生活ができない子どもの多くは文字が読めて、ほっぺが青い子どもです。
そう語るのは、日本のシュタイナー幼稚園創設者である高橋弘子さん。
私は以前、3歳なのにシューズが一人ではけないし、お座りもできない子のお母さんに
「文字を教えていませんか」
と聞いたことがあります。
お母さんは
「全然教えていません」
といいましたが、実際にその子は文字が読めました。
「そういえば、お風呂場に<あいうえおの表>が張ってあります。でも教えていません。『これってなんていう字?』と聞くから、子どもの興味に対して、それは『ふ』だよと教えてあげていますよ」
といいました。
子どもはママが喜ぶから
「これはなんていう字?」と聞くわけです。
でも、子どもが頭を働かせて「ふ」といっている時、その子どもは自分の心で感じる代わりに、頭を働かせているのです。
それよりも、お風呂場の暖かさ、お湯のぬくもり、中に入ってお湯をパシャパシャやる感じ、シャボン玉が出るのを純粋に喜ぶ方が大切です。
シャボン玉を見ても「これなんだ?」とはまだ考えなくていいのです。
大人が「これはシャボン玉で、こうなるのよ」というと頭を働かせることになります。
それは文字を教えていることと同じなのです。
幼児期は子どもの肉体を育て、意思を育てる時期です。
早期教育やフラッシュカードをやっている子どもを見ればわかるように、子どもに記憶させようとすればいくらでも記憶します。
しかし、まだまだ体ができていない幼児期に記憶をさせたりして頭を使わせると、本当に育てなければいけない肉体の脳や内臓の諸器官を育てる力が弱くなって、充分に育たなくなってしまいます。
文字を教えることは、結局は頭を使うことになり、記憶させることになります。
シュタイナーの「生命体」という考え方によれば、生命体は記憶の力と成長する力を司っていて、記憶させようとすれば生命体の力は記憶の方へ行ってしまうそうです。
最近は言葉の発達の遅い子どもも非常に増えています。
そうした子どもはたいてい文字が読めたり、テレビを見ていたりします。
小さいときに文字が読めると知的に考えてしまいますから、感覚体験を通した自分の心の育ちがありませんし、まわりに対する興味もなくっていきます。
まず、心を育てなければいけません。
まわりに対して注意をもつあらゆる感覚体験は心の栄養になります。
先日お話を伺ったシュタイナー学校の校医をしているドクター・メラーも
「いまの人間は子どもの心にミルクを与えるのではなく、石を与えている」
とおっしゃっていました。
<あいうえお表>があって、それを読むとママが喜ぶからと、「これはなに?」と考えていると心のミルクが入ってきません。ぬくもり、美しいもの、密やかなるものは、そこにはありません。
テレビやラジオの音もミルクではなく、”石”です。
どんなに美しい音楽でも、電気的に計測すれば単なる音波に過ぎません。
それが鼓膜を通して内耳にきた途端に、なぜ美しい音楽になるのでしょう?
子どもの耳に美しく響く音、鼓膜に響いて内的にちゃんと体験できる音になるためには、そういう耳をかたむけなければならないのです。
本当に耳を澄ませて聞かないと音楽は聞こえてきません。
内的に音にならないのです。
まず、鈴の音や風のそよぎ、雪の降る音、そういった自然の密やかな音を聞くことによって、「音がきける」よう、自我の心が育つのです。
子どもの中に自我が育ち、興味を持てればちゃんと聞けるようになりますが、いつもラジオやCDががんがん鳴っていたりすると、子どもは音に対して注意しなくなります。
まわりの音に対して無関心になって、人の話も聞けない子どもになってしまいます。
本当に子どものためによいこととは
シュタイナーは触覚や聴覚、味覚、視覚といった五感以外にも、言語感覚、思考感覚、生命感覚、自我感覚などを含めた十二の感覚について述べています。
生命感覚とは、自分の中やまわりの生命の世界を感じる感覚です。
朝起きた時に気分がいいとか悪いとか、調子がいいとかいう自分の体の中の感覚です。
最近、汗をかいていても自分で洋服を着替えない子がいます。
先日もあるお母さんが「この子が幼稚園に行ったら、誰が汗を拭いて、服を着替えてくれるでしょう」と心配そうでした。
汗は自分で拭けばいいのです。
自分が気持ちが悪くなってこど、生命感覚が発達して拭きたくなるわけですから、そのまま放っておけばいいのです。
ある学校の先生が、子どもたちを連れてプールに行ったところ、お母さんたちが心配でついてきて、プールから出た後でファンで髪を乾かし始めたそうです。
子どもたちは一列に並んで、水をたらしたままじっと待っていたというのです。
自分で拭けばいいのに、と私は思いました。
いまの親たちは、一生懸命に子どものためにしてあげようとします。
けれども、それが恐ろしい結果になっていることが、時々見受けられます。
子どものためにと、教育的なビデオを見せたり、教育番組を見せるのもその一つです。
シュタイナー幼稚園では紙芝居ではなく、毎日先生が素話をしてあげます。
絵本や紙芝居は絵が描いてありますから、他人のイメージが押しつけられて、子どもが自分の中でイメージを結ぶことができません。
目の前にある絵にしばられて、自分の想像力を使った自分だけの絵が描けなくなりますから、内面性が育たないのです。
子どもは小さいときから人の話を集中して聞いて、自分の中で自分のイメージを持つことが大事です。
その意味で、ビデオやテレビは絵本や紙芝居よりももっと悪い影響があるというのはいうまでもありません。
また、幼稚園での素話は3週間から4週間、毎日同じお話をしてあげますから、自然と聞く習慣が育ちます。
ですから、シュタイナー幼稚園の子どもたちは、小学校に行っても、ちゃんとお座りをして先生のお話を聞くことができます。
私が思うに、いまのすべての子どもたちにとって大事なのは、人間の付き合いです。
兄弟が少ないいまの子どもたちは、人とのつきあい方を学ぶ機会が少なく、我慢もできなくなっています。
多くの人と一緒にいれば、僕はこれがほしいけれど相手はいやなんだな、と他者の自我と触れることもあります。
その時に、ケンカをして泣いてもいいでしょう。
他者の自我を感じる自我感覚が育つのです。
私は3歳になったら幼稚園や保育園に入れた方がよいと考えていますが、それは幼稚園や保育園には先生もいますし、お友だちもいます。
いろいろな年齢の子もいますから、お兄さんお姉さんへの畏敬の念や、年下の子へのいたわりが育つからです。
シュタイナー幼稚園から学ぶ・・・お話とテレビ
シュタイナー幼稚園には絵本も紙芝居もほとんどありません。
絵本や紙芝居の絵を描いた大人のイメージを子どもに押しつけてしまうことで、子どもたちがお話を聞きながら心の中に自分のイメージを自由に描くことを邪魔しないようにするためです。
先生がお話をするときに声色を使ったり、ドラマチックに語るのではなく、淡々と語るのも同じ理由からです。
子どもが感じるだろうという恐ろしさや喜びを大人が押しつけるのではなく、恐ろしさも怖さも喜びも子どもの中から自然に湧いてくるものなのです。
子どもの想像力は、一本の小枝を剣に、楽器に、人間にさえ変えてしまう力を持っています。
退屈するとすぐにテレビをつけてしまうような大人は、子どもにも気晴らしが必要と考え、お話も子どもの気をそらせるための一つの手段と考えるかもしれません。
しかし、お話を聞くことは子どもに豊かな想像力と感動する力を育てています。
テレビを与え続けることは、そうした力を育てる作業を奪い取ってしまうことになると思います。
『模倣』こそが幼児の主体性
現場の先生でもあったヨハネス・シュナイダー博士というドイツの教育者が、シュタイナー教育の本質について講演を行ったときに、
「模倣こそが」幼児の主体性だ」
とおっしゃいました。
幼児の主体性は何らかのお手本を無心に模倣することにあるというのです。
幼児は、お母さんやお父さん、兄弟や姉妹、おばあちゃんやおじいちゃんなど、周囲にいる人たちを模倣していきます。
そして、遊びの中で、生活を通して体験されるさまざまな出来事を鏡のように写し出します。
そうした子どもの姿は、親であれば誰でも見たことがあるでしょう。
模倣が大切なのは模倣によって自我が育つからです。
物まねだから自我が育つなんて思えないかもしれませんが、子どもが何を模倣するかというと、お父さん、お母さん、幼稚園先生・・・・、誰を模倣するにしても、それぞれの子によって模倣の対象と仕方が違います。
ある時、シュナイダー博士の幼稚園に電気屋さんが修理にやってきたそうです。
電気屋さんは配電盤をあけて修理しました。
翌日、子どもたちはさっそく電気屋さんごっこを始めました。
ある子どもは配電盤にトントンとやるところを真似しました。
また、電気屋さんが鼻をすすり、前掛けで手をこするところの真似をした子もいたそうです。
子どもは純粋感覚を持っていますから、電気屋さんの存在をそのまま真似するわけですが、そのときには、その子なりに一番感動したもの、その子なりの感覚でとらえたものをそのまま再現している、とシュナイダー博士は気づいたそうです。
私の幼稚園でも、お父さんが足を広げてベタと座って新聞を読んでいるところを真似する子もいます。
幼稚園の先生そっくりの真似をする子もいれば、お母さんそっくりの真似をする子もいますし、消防士ごっこをする子もいます。
そうした違いは、その子なりに自分が感動していることを真似ているからです。
自分が真似しているもの、真似をしているしぐさを見ているのはそれぞれの子どもの自我です。
子どもの自我の種が純粋知覚して再現すること、それが真似なのです。
子どもは同じものを見ても、違う真似をする。何を真似するかによって自我の種が反応しています。
だから自我が育つのです。
シュタイナー幼稚園では、子どもが最も良い形で模倣できるような環境を作ろうと努力しています。
子どもにとって理想の環境は、できるだけ家庭生活に近い環境に置くことです。
しかし、いまの子どもが生活している周囲には大人が少ないので、子どもが模倣しにくくなっているように感じられます。
現代において、「人間」が育たないのは、まず、模倣すべき大人が身近にいないからだと思います。
シュタイナーは
「幼児が、自分の魂ではなく、身近にいる人間の魂において生きることができれば、それは幼児にとっては大きな幸福である」、あるいは「幼児の頃にできる限り密度の濃い模倣者である場合に限り、人間は自由になれる」ともいっています。
幼児が模倣できるような大人が近くにいることは、幼児教育にとって大切なことです。
その意味でも、家に母親と子どもだけの場合には、幼稚園や保育園へ行くのがいいと私は思っています。
子どもと一緒に遊ばない
テレビをつけていると、子どもはテレビを凝視します。
テレビをつけていると子どもが静かになるから・・・・
子どもといっしょに遊べないから・・・
そういった理由でテレビやスマホを見せてはいないでしょうか。
子どもの近くに大人がいることは、子どもの遊びにとって大切です。
先生や大人が子どもの近くで何か仕事をしていると、子どもはそれを感じて、安心します。
そして、その姿から刺激を受け、主体性をもって自分の遊びを展開できるのです。
そうした遊びを通して、子どもの喜びに満ちた主体性は発達していきます。
しかし、シュタイナー幼稚園では、先生は決して子どもと遊ぶことはありません。
それは、大人が参加すると子どもの自由とファンタジー、主体的な遊びが失われてしまうからです。
だからといって放っておくのではなく、大人が近くでなにか手仕事をしているということが重要なのです。
お父さんにも家でお父さんの仕事をしてもらうといいです。
子どもと向き合いすぎて行き詰ってしまうお母さんがいますが、私はそういうお母さんには、子どもと一緒に遊んであげる必要はないんですよ、といいます。
子どもが幼稚園に行っている間は好きなことをして、帰って来てからお掃除をしたり、お部屋の片づけをしたり、食事の支度をしたらどうですか、といいます。
子どもにとってうれしいのは、例えば、お母さんがトントントンと、まな板の上で野菜を切っていることです。
子どもはそれを見たり聞いたりすることで、刺激になり、自分から遊び始めます。
それがファンタジーにつながるのです。
◆高橋弘子◆
1957年に初めてドイツに渡り、ルドルフ・シュタイナー本人に教えを受けた弟子たちから直接シュタイナーの人柄やその思想について聞き、強い影響を受ける。
ミュンヘン大学、シュトゥッツガルト・キリスト者共同体プリースター・ゼミナールに学び、帰国後の71年にルドルフ・シュタイナー研究所を設立。著書に『日本のシュタイナー幼稚園』(水声社)訳書に『幼児のためのメルヘン (シュタイナー教育文庫)』(水声社)『幼児のための人形劇―シュタイナー幼稚園教材集』(フレーベル社)グルネリウス『七歳までの人間教育―シュタイナー幼稚園と幼児教育 (1981年)』(共訳・フレーベル館)などがある。
まとめ
いかがでしたでしょうか。テレビとの付き合い方もそうですが、子どもの成長のあり方を考えさせられるお話でした。私もはじめて子どもが生まれた時は、教育番組ならいいだろう、と思い子どもにテレビを見せてみました。すると、娘はびっくりするほどテレビに釘付けになって、全く動きませんでした。子どもって、テレビをみるとこんなに静かになるの?と思うくらい。そうなると家事をゆっくりできるようになり、これはラクチン!とテレビをつける習慣になりました。
しかし、テレビを消した後の「もっと見たい!!」の要求がうちの子はすごかった・・・(;´Д`)なんどもテレビをつけて!と引っ張って呼びにきたり、泣いて悲しんだり・・・。テレビを見た後の方が我が家は大変になってしまいました💦そのあとに出会ったシュタイナー教育。これなら私に合いそう!!と思い、そこからいろいろと教育について、子どもについて学び始めました。テレビがある家庭環境だからこそ、多くのお母さんに赤ちゃんのこと、子どものことを知ってほしいことだと思いました。
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