世界中に広がる「シュタイナー教育」。芸術教育として知られているかもしれません。では、実際にシュタイナー教育とはどういったものなのでしょうか。シュタイナーってどんな人?家庭で取り入れやすいって本当?どんなことをやる教育なの?ここでは、シュタイナーの子ども観と教育思想について簡単にご紹介していきます。
ルドルフ・シュタイナーってどんなひと?
ルドルフ・シュタイナーは1861年オーストリアのクラリエヴィック(現在のクロアチア)に鉄道岸の長男として生まれました。子どもの頃から哲学と文学に興味を持ちましたが、工科大学に進学し自然科学を専攻。
しかし、ある薬草採集家から自然を神秘学的に理解することへの示唆や、詩人かつ自然科学者であったゲーテから強い影響を受けて、次第に人間と世界を総合的に理解しようとする思想の確立へと向かい、世界の背後には精神の力の存在があると認識するようになりました。シュタイナーと聞くとすぐに「教育」と思いがちですが、シュタイナーは「人間は本来どのような存在で、どのように生きるべきなのか」について考え、一つの世界観を構築した哲学者であり、思想家です。
その思想はアントロポゾフィー(人智学)と呼ばれ、この思想から導き出された教育が、現在「シュタイナー教育」として世界中で行われている教育となりました。シュタイナーは1925年に64歳でなくなりましたが、それ以後も、芸術、医学、農業、社会構造、建築、経済、植物、そして教育など多くの領域で彼の思想に基づいた実践続けられています。
子どもの教育 シュタイナーコレクション / ルドルフ・シュタイナー 【全集・双書】
子どもの心を育てるシュタイナー教育
シュタイナー教育は「自我と社会性を育てる」教育です。自我が育つということは、「自分が、自分が」というわがままではありません。人間として自分の責任を自由に果たしていける「自由への教育」なのです。
シュタイナーは、人間は生れてくる時に、その人生で何をすべきかという「人生設計図」をもって生れてくると考えました。そして、本当に幸せな子ども、本当に幸せな人間は大人になったとき、この世界できちんと自分の課題、自分の仕事をやっていける自我を持っていることだといいました。ですから、教育の目的は、持って生まれた「人生の設計図」あるいは「自分の課題」をきちんとやっていける人間になるということだというのです。
人間は、そのための体をきちんと育て、心(魂)を育て、精神を育てるのです。つまり、20年かけて、体、心、精神がバランスよく育って、はじめて一人前になるわけです。しかし、体、心(魂)、精神のすべてを同時に育てていくことは無理です。
そのため
- 体の基礎は幼稚園時代に
- 心(魂)の基礎は小学校時代に
- 精神の基礎は思春期以降に
と、だんだんに順序よく育てることが大事になるのです。実はそれが子どもたちの内面が求めていることであり、人間の成長にとっても自然なこと。現代の唯物論的自然科学では、頭脳が人間の中心と考えます。
しかし、ルドルフ・シュタイナーは、
- 頭の部分は神経感覚系の中心
- 胸部の部分は血脈循環系の中心
- 肢体は新陳代謝系の中心
と考えました。
シュタイナーの十二感覚
参照:R・シュタイナーから学ぶ
シュタイナーがあげた十二の感覚とは触覚・嗅覚・味覚・視覚・聴覚・熱感覚・生命感覚・言語感覚・思考感覚・自我感覚・均衡(平衡)感覚・運動感覚のことをいいます。熱感覚はお母さんのおっぱいの温かさやお風呂のお湯の暖かさを感じる感覚。言語感覚を聴覚と分かれているのは、聴覚は音が聞こえることですが、言語感覚は言葉に対する感覚だからです。言語感覚は人間同士の会話を聞くことで育っていきますから、話しかけることやほほえむことが大切です。思考感覚は人間が考えていることを認める感覚で、自我感覚はたとえば、(これはママなんだ)ということもその一つです。他者を感じる感覚、つまり人間感覚です。
これらの感覚はどれが特に、ということなくすべて大切ですが、幼児にとっては触覚と味覚の体験が主体性の発達にとって、最も大きな働きをしているといわれています。お母さんの胸でおっぱいを飲む赤ちゃんの満足げな顔を見たことがある人は誰でも、納得できるのではないでしょうか。
十二感覚の環と七つの生命プロセス シュタイナーの感覚論にもとづく治療教育の現場から カール・ケーニヒ/著 石井秀治/訳
https://simplife150.com/steinerschool/
子どもの『意思』を育てるために
一般には子どもに「さぁ、好きにやりなさい」といって放っておくことが、子どもの主体性を育てることになると考えられていることが多いようですが、何の”生活のお手本”も与えないということは、まさに「放って」いるだけです。まず、子どもの主体性とは何かが問われるべきだろうと思います。
シュタイナーは、子どもの人格を尊重するために、子どもに対して大人と同じように付き合っていくべきであると考えるのは、子どもの本質を理解していないことからくる教育上の誤りであるといいました。幼児には何かをしたいという意思は非常に強くあります。しかし、子どもの主体的な活動は、何もないところから自然に湧いてくるわけではありません。ひとりでに出てくるのは、目的のない「意志衝動」だけです。幼児の心が動くような、お手本にしたくなるような模倣の対象がないと、盲目の意志だけがあらわれてきます。しかし、この意志の力を、大人のことばによる「しつけ」やさせる「保育」で損なってはいけません。
あるシュタイナー幼児教育の勉強会の席で、幼稚園の先生から「教室にいられない子どもに、先生がつきっきりになってしまうのですが、その子が外に行こうとしたらどうしたらいいのでしょうか。」という質問がありました。
先生は
「子どもを追いかけないで」といいました。
その子は動きたいのですから、行きたいところに行けばいいのです。たいていの幼稚園や小学校では、先生がおっかけていって、「こうしなさい」「こうしなきゃだめですよ」と叱って、連れ戻したりします。しかし、それではよけいにこどもはだめになってしまいます。そうではなく、その子が、「あ、おもしろそうだな」とおもって自分から寄ってきて、お座りするように持っていくのが教師のテクニックです。
同じように、いつも親が子どもに「こうしなさい、ああしなさい」とばかり言っていると、その子の意志は育ちません。シュタイナーは人間として調和をもって発達するためには、7歳ころまでには意志の基礎が、14歳ころまでに感情の基礎が、21歳ころまでに思考力と判断力の基礎が育てられなければならないと考えています。
それなのに、幼児の意志の力が親や教師による厳しい言葉によるしつけや、絶え間ない口出しによって妨げられることが続くと、意志が育たずあきらめの表情を浮かべた子どもになっていきます。本来発揮されるべき意志の力を抑圧された「意志の弱い子ども」の中には、しばしば抑圧された意志がひそんでいるものです。それはいつか「攻撃性」となって暴れまわることになるでしょう。
いま、世の中は全体的に何かに対する反感が強くなっています。内面から「NO!」がこみ上げてきている感じです。だからこそ余計に幼児には「生きる喜び」が大切です。しかし、何かをさせようとすればするほど、生きる喜びがなくなり、反感が強くなってしまいます。幼児教育は意思を育てる教育です。
シュタイナー幼稚園では、子どもが主体的に遊んでいるので意志が育ち、共感が育ちます。そして、ファンタジーができててイマジネーションの力が出てきます。生きる喜びのある子どもを育てるためには、少なくとも小学1年生くらいまでは共感の教育が必要です。幼児は夢を見ているように、楽しく自分の好きなことをしていればいいのです。そして、たくさんのまわりについての純粋感覚体験をすることで「自分」が育つのです。
幼児は世界を信頼している
子どもは、その基本的な感情として、まわりの世界を信頼しているということも忘れてほしくないことです。ですから、大人はその信頼を裏切らないようにすることです。子どもの前でお父さんの悪口を言ったり、幼稚園の先生の悪口を言ったりすることは、子どもが信頼している世界を揺るがすことになります。子どもが信頼している世界についてはせめて子どもの前だけでもいいですから否定しないようにすれば、子どもは世界に対する信頼感を持つことができると思います。
これは、悪いものがあるということを教えないで、過保護に育てるということではありません。まだ、弱い自我しか持たない幼児には、朝顔のツルと同じように支柱が必要だということです。悪について学ぶのはもっと大きくなってからで十分です。テレビを見せる見せないということに対しても、夫婦で意見が違ってしまったり、おじいちゃんおばあちゃんとの関係で難しい場合もあります。
しかし、できるだけ少なく見せたいという態度があれば、どっぷりとみせているのとは違うと思います。むしろ、自分の家ではテレビを見せていないからと、子ども同士遊びたいのに、「テレビのある家ではあそばせない」と子どもの前でいってしまうことの方が問題です。ゆったりと現実を肯定しながら、その中で、よりよいものに向けて努力していくことが求められているのです。きちんとした疑問を持ち、完璧にではなくても抵抗している姿勢が大事なのです。
子育ての難しい現代だからこそシュタイナー教育
日本の昔の教育は、教科書通りに、先生のいうとうりにやればいい子が育ちました。現代ではそうはいきませんが、そのすべてが間違っていたわけではありません。たとえばシュタイナーは「7歳までに感謝を教えなさい」といいます。でも、そうしたことはかつての日本にもありました。シュタイナーは「自然の中には神がいる」といいます。自然の中には道徳性や倫理性がありますから、都会の中でも小さなベランダにプランターを置いて何かを育てたり、子どもと一緒に水をあげることはできるでしょう。そうやって四季を感じたり、空を見る、雲を見るということはとても大事なことです。
「心を育てる教育」といいますけれど、日本にもそういうものはありましたし、今でもあると思います。教育の原理は古今東西を問わず、ある意味では共通したものがあるわけです。ですから、シュタイナー教育を学んでいなくても素晴らしい教師はいらっしゃいます。ですから、必ずしもシュタイナー教育である必要はないかもしれません。
ただ、なぜこんなに悩める時代になったのか、こうした時代の中できちんと子どもを育てたいと考えたときに、シュタイナーの示した指針は非常に重要であると気がつきました。現代だからこそ、シュタイナー教育は大事なのだと私は思います。それは、今日の日本では忘れられている教育、とても重要な教育—–自分の心を育て、自我を育てる教育だからです。
現代は一人ひとりの人間が自分の内側からくる内面的な問題、内的な自我に従って生きていく時代です。かつてのように「家」というものがあって、それを守らなければいけないという時代は過ぎ、一人ひとりが育ちあう時代です。男も女も自分をもっと確立し、世界の平和のために、地球を大事にするようになっていかなくてはいけないと思います。個を育てると同時に愛を育てる時代です。その愛も自分の親や兄弟だけでなく、他者を自分と同じ人間として同じように愛する時代が来ているのだと思います。そういう時代を迎えているからこそ、シュタイナー教育の重要性はさらに増しているのです。
シュタイナーの4つの気質
シュタイナーは人間の気質を「胆汁質」「憂鬱質」「粘液質」「多血質」の4つに分け、それぞれ気質に合った教育の重要性を説きました。
◆胆汁質は、道があって大きな岩の障害物があるときに「あっ岩がある、このやろう」と蹴飛ばしていくようなタイプです。理想主義で自我が強く、支配力も強くて権力的ですが、いい指導者にもなれるこのタイプにシュタイナーは「誰かを尊敬させなさい、そして難しい課題を与えなさい」といいます。
◆憂鬱質は内的引っ込み思案。岩の前に来ると「あぁ、こんなところに岩があってしょうがないな、どうしよう」と悩むタイプ。あまり人前に出ることが好きではなく、すぐに世の中をはかなむ詩人や思想家タイプの子どもには「いつまでも昔のことを引きずってくよくよしているから、それを引き離すために、他のかわいそうな子どもの面倒をみさせなさい。」
◆粘液質は「あぁ、岩があるなー」とゆったり構え、落ち込みもしないようなタイプ。「誰かがどけてくれるかもしれない」と、ゆっくりとおいしいものでも食べて、なくなるまで待とうというこのタイプは、「平和を愛し争いをこのないから、叱られても傷つかないので叱ってもいいのはこのタイプだけである。」
◆多血質は「あ、岩がある」とその前で遊んでしまうタイプ。そうしているうちに岩を超えていける場合もあるかもしれないが、越えられないかもしれません。でも、一人の先生を大好きなことで移り気が直ることがあります。
シュタイナー幼稚園の教師は、それぞれの子どもの気質を見分け、それぞれの子どもに少しずつ対応を変えながら接していきます。しかし、親が自分の子どもの気質を幼いうちから決めつけてしまうことは避けるべきでしょう。一人の子どもにはいくつもの気質が重なり合っていますし、親の目の前にいるときの子どもと、親から離れて幼稚園にいる時ではようすが違うことがあるからです。
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