イタリアの義務教育
イタリアでは6歳~14歳までが義務教育と定められています。
小学校は5年間(6~11歳)、中学校は3年間(11~14歳)、高校は5年間(14~19歳)通います。
小学校の入学は6歳を迎える年ですが、早生まれの子どもの入学申し込みをすることも出来ますが、入学を1年遅らせて、翌年から入学することも出来ます。
早生まれであっても、勉強についていけそうであれば小学校に入学が可能。
まだ早いと感じるのであれば、翌年に入学させる、というようにいつ入学させるかは、その家庭によって選ぶことができ、幼稚園や保育園などの先生に相談しながら判断しています。
そのため、同じ学年の中に1月生まれの子どもから、翌年の4月生まれの子どももいることがあります。
クラス編成
イタリアの学校には、クラス替えがありません。
小学校の5年間や中学校の3年間では、同じクラスメイトと担任の先生とずっと過ごすことになります。
また中学3年生になると、国の卒業試験というのがあります。
イタリアではこの試験が受からないと中学校を卒業することでできず、中学校を留年してしまいます。
イタリアの高等学校
高校の5年間では、音楽や美術などの専門コースがある高校で2年+3年になります。
最初の2年間では一般教養科目を中心に学び、残りの3年間は専門学科に力を入れて学ぶようになっています。
またイタリアには、入学式も卒業式もありません。
障がい児の学級について
イタリアは以前は障がい児だけを分けて教育していましたが、分けて教育するのは間違であるとして、現在では普通学級の中で一緒に指導するようになりました。
そのため、現在は特殊教育諸学校や特殊学級もありません。
そして普通学級で指導する際には、障がいの程度によりハンデを点数で表しています。
もし目が見えないという子がいる時は、その子に先生が付くなどという工夫をしているのです。
また障がい児のいる学級の人数は、上限20人、教員が1人加配されています。
逆に障がい児がいない学級の人数は、上限が28人になっているようです。
公立学校にかかる費用
イタリアの学校はほとんど公立ですが、スクールバス代や給食費は生徒側の負担になります。
生徒の家庭の経済状況が厳しければ、各自治体や学校の規則に則った優遇措置制度もあります。
•小学校にかかる費用
学費と教科書代は無料。給食費やスクールバス代は生徒側の負担。
•中学校/高校にかかる費用
学費は無料ですが教科書代は有料。
•スクールバス代
バス会社や自治体のシステムによって異なります。
他にもイタリアの小学校では、登下校の全てを保護者が送り迎えしなくてはいけないようで、中学校では、遠距離の生徒は保護者が送り迎えをしているようです。
学校を出てからの安全管理は保護者の責任に変わるのです。
授業は基本的に13時半で終わるので、その時間には親が迎えに来ているのです。
イタリアの教育制度の問題点
イタリアでは改革が頻繁に行われていて、法律もすぐに変わってしまいます。
そのため教育制度もコロコロ変わってしまい、親の代と違うだけでなく子育てがひと段落したマンマの時代とも変わっていて、正確な状況が掴みにくいという問題点があります。
2006年では6歳~16歳までの10年間が義務教育とされていて、高校は全過程で5年ありますが、前期(2年間)と後期(3年間)とに分かれ、義務教育の期間は高校の前期までに相当していました。
2019年現在では小学校5年、中学校3年の8年間が義務教育とされていますが、今後は18歳まで年齢を引き上げたい方針のようです。
詳細については現場の先生やイタリア人ですら把握できていない場合もあるのが現状です。
イタリアの教育の歴史
教育制度が頻繁に変わるイタリアですが、どのような歴史背景があるのでしょうか?
ここではイタリア教育の歴史をみていきます。
戦後のイタリア教育
イタリアでは戦後、教育革命の歩みはかなり難航し、ほぼ戦前と同じような複線型の制度に代わります。
1947年憲法に保障された14歳までの義務制の新制統一中学校が発足したのは、ようやく1963年度からでした。
それまでは一般大衆の子どもにとって、学校といえば、小学校5年間が普通でした。
中学校はそれ以上の学校へ進級するための、選ばれた者のための学校でした。
1963年以降の現行の教育制度は、小学校(6歳から)5年制、中学校3年制が基礎学校として、すべての者に共通の教育となっています。
1981年以降はイタリアでもようやく、戦後、憲法に保障された教育県が現実の改革に結実されます。
反権威主義、階級選別に対する戦い、民主的参加という60年代末の闘争の理念の成果が、広く国民の共通の教養を形成するために根をおろすことになります。
イタリアの学校の特徴的な授業時間
小学校から高校まで、一般的に授業は12時半~1時半に終わってしまいます。
したがって、学校で過ごす時間よりも家庭で過ごす時間の方が圧倒的に多くなります。
当然のことながら、家庭環境の差がそして子どもたちをとりまく文化の質が、子どもの教養の差となって端的にあらわれます。
余裕のある家庭では、わからない子に家庭教師をつけることができますが、貧困家庭では野放し状態になります。
そのような理由から放課後の補習の効果が強調され、さらに全日制学校を具体的な改革案としてだされました。
その結果、1962年12月の新制中学法では週10時間以上の放課後補習が設けられることになり、1974~1975年には全日制が次第に定着していきました。
『イタリアの学校改革論』(ある女教師への手紙)
親愛なる先生
あなたは僕の名前すら覚えておられないでしょう。大勢落第させましたからね。
このような文章から始まるバルビアナ学校に通う子どもたちの手紙。
義務教育の選別の状況を、落ちこぼれの子どもたちが落第させた先生への手紙の形で書かれたドキュメントは、1967年に刊行され、その後の教育改革論争の原点として、教育雑誌でも繰り返し議論されました。
イタリアでは1963年にようやくすべての子どもに共通の統一中学校が発足して、憲法に保障された14歳までの義務教育(小学校5年制、中学校3年制)が実現することになりました。
その後、1968年の大学紛争を経て、勤労者の学習権や幼・小・中・高等教育各段階の学校運営の民主化が進められました。
これは、バルビアナの学校問題提起が現代のイタリア教育改革に影響を及ぼしています。
バルビアナの問題提起は出発点においてちがう子どもたちを形式的に平等に扱うことの不平等を指摘したところにありました。
まず第一に教育内容が労働者、農民のためではなく、知識階級のために考えられている、大衆文化の疎外の状況。
第二に、学校での教育時間が短く、学習時間は午後の子どもたちの各自の勉強に委ねられている。
これは、下層階級にとっては子どもは教育的援助のない放置状態に置かれているのである。
第三に、試験のあり方と落第システムが批判される。
総合的な試験は小学校・中学校・高等学校の最終学期末試験に行われますが、卒業試験ばかりでなく、進級試験の選別も厳しいものでした。
6月の試験に失敗したものには9月に追試試験が行われます。
ちなみに、バルビアナの学校の生徒の1人は師範学校の試験に落第して、夏中勉強した後、9月の試験に臨みましたが、結果は6月より悪いものに。
このことが、、彼らの「ある女教師への手紙」を書く直接的なきっかけになったのです。
バルビアナの学校とは?
「追放」された司祭ドン・ロレンツィオ・ミラー二は、バルビアナの教会で、学校を落第してしまった子どもたちとともに学習を行っていました。
それが、バルビアナの学校です。
1963年にマリオ・ローディがバルビアナを訪問した際、彼とともに学習している子どもたちと出会います。
民間教育団体である、「教育協同運動」の生活綴り方に関心を寄せた彼らに、ローディ先生は自分の5年生の生徒たちとの文通を提案しました。
その後、ドン・ロレンツィオ・ミラーニの協力で、バルビアナの学校の子どもたちから、ローディ先生の教え子たちに最初の手紙が届きます。
ローディはこの学校に
「イタリアの義務教育の中では見出し得ない休校な教育事業のための条件」を見いだしました。
この文集のやり取りで、子どもたちは作文能力を高め、子どもたちを落第させた先生への手紙が書かれたのです。
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