あなたは、『知育あそび』ときくとどのようなことを考えますか?
早く文字が読めるようになる?英語が話せるようになる?計算ができるようになる?・・・・などでしょうか。
子どもは早くに教えてやれば、その分だけ吸収し、獲得していく力を持っています。
しかし、それは本当に「子どものため」なのでしょうか?
ここではニキーチンのいう知育あそびについてご紹介します。
知育あそびはどんな遊び?
何のためにおもちゃを買うの?
デパートへ行くと子どもたちの目を引くおもちゃがたくさんあります。
ガラガラから電気仕掛けのおもちゃまで、何でもそろっているので、好みが違っても、年齢が違っても、それぞれのおもちゃが見つかります。
卓上ゲームやら、電気仕掛け、ぜんまい仕掛け・・・・と彩りもきらびやかなおもちゃが並び、子どもたちは果てしなく夢を膨らませます。
「ママ、買ってよ・・」
「パパ、あれがほしいの。お願い・・・」
このときの子どもたちの目を見ては親はたじたじとせざるをえません。
このとき、ちょっと考えてみて下さい。
どういうことを基準においておもちゃを買うのでしょう。
子どもが欲しがるからですか?
うるさくせがまれるからですか?
隣の子は持っているのに、うちの子は持っていないからですか?
子どもが喜ぶなら何でもいいというわけですか?
子どものためになるからですか?
それとも、ただ流行っているからでしょうか。
では、おもちゃを買ったとします。
人形とか自動車などを・・・。
「ママ、ありがとう!!!」
おもちゃを買ってもらった後はいつでも嬉しいものです。
ところが、30分経ち、1時間経ち、2.3日もたてばおもちゃは放り出されて見向きもされません。
一体だれが悪いのでしょう?
子どもでしょうか。
買ってやったパパやママでしょうか。
それともおもちゃがよくないのでしょうか。
これはそんなに簡単に片づけられることではありません。
「子どもの遊びを理解することに比べたら、原子を理解することなどは、児戯にひとしい」
これはアメリカの植物生理学者ホーグランドの言葉ですが、子どもの遊びの重要性をよく捉え、この問題のむずかしさをうまく言い表しています。
遊びについては、たくさんの本が書かれています。
おもちゃは社会のもつ教育手段のなかでも、最も強力なものの一つです。
遊びは学齢期の子どもの活動の中で、最も大事なものであるとは昔から知られていることです。
遊びの中でこそ人格のさまざまな側面が発揮され、伸びていきますし、知的な欲求、感情的な要求の多くがみたされ、そして性格が形づくられていきます。
ただ、おもちゃを買うだけだ、などと思ってはいけません。
あなたは、そのことによって、子どもの人格を形づくっているのです。
おもちゃに現れる社会の要請
遊びにしても、おもちゃにしても、程度の違いはあっても、かならずわかりやすくおもしろい形で、生活そのものを真似するものです。
当然その時代、社会階級のちがいというものが、それなりに子どもの遊びに反映します。
それは、子どもをどんな人間に育てなければならないかという、その時代とその階級の社会的要請が、遊びの中に形となってあらわてれいるとさえいえるようです。
科学技術革命の時代、そこに持ち出される子どもへの要請は、社会の一員として子どもたちのすべてを、想像力のある人間に育て上げなければならない、というこれまでにない新しい要請が生まれました。
この社会の要請に対して、おもちゃにはどういうかたちで表れているでしょうか。
例えば、女の子はさまざまな人形、おままごとの食器、おもちゃのミシン、手芸用品といったものでしょう。
将来、家事をしなければならないでしょうが、こういうおもちゃでは家事事情、知性を伸ばすことにあまり役立ちません。
困るのは、女の子のおもちゃというと、こういうものに限られてしまうことです。
組み立て玩具はどういうわけか、男の子のおもちゃということになっています。
細工や積み木ならいいにしても、組み立て玩具など女の子には必要ないといわれてしまいます。
組み立て玩具のようなものは、想像力の多くの面を伸ばすのに役立つことはいうまでもありません。
しかし、この種のおもちゃが最善の方法で利用されているとはいえないことの方が多いように思います。
少なくとも学校に上がった子のものだと思われています。
2.3歳の子どものために、組み立て玩具を買ってやるパパは、まずいないでしょう。
知育あそびは新しいタイプのおもちゃ
組み立て玩具でも買ってやろうかと思うのは、だいたい子どもが8、9歳になってからです。
では、知育発育に最も適した時期はどうなるのでしょう。
1,2,3歳の子どもには何を与えたらいいでしょう。
大切なのは、むずかしさが子どもの年齢とともに増し、しかも、常に、子どもの発達の先を行っているようでなければなりません。
1日とか1か月ではなく、子どもの発達段階の1年、3年先を行っていなければなりません。
たくさんおもちゃがあるのに子どもはそれで遊ぼうとしない・・・・こういったことはよく見かけます。
それはなぜでしょう?
理由はいろいろありますが、一番の理由は、そのおもちゃが「ぬけがら」になってしまっているからです。
つまり、ものめずらしさがなくなっているのです。
子どもはまず、”ものめずらしさ”にひかれます。
こうした全部できあがっているおもちゃでは、子どもの知力に問題を課し、長い間にわたって、子どもの知力を活発に働かせるということはできません。
その点、橋や家などを作れる積み木セット、寄木細工などの方がはるかにすぐれています。
これなら長い間使っても子どもはあきません。
組み合わせによっていろいろなことができるからです。
しかし、知育のうえでできることには限度があります。
これらのおもちゃは、子どもを刺激して子どもの知力の限りを出し尽くせるということもありませんし、子どもの発育水準の先を行くこともありません。
ブラザージョルダン社 ニキーチン積み木 レンガつみ 木のおもちゃ
子どもの創造力を伸ばすためには、必要条件がありますが、これらのおもちゃだけでも物足りません。
そこで考えられたのが、モンテッソーリやニキーチンの知育玩具です。
知育あそびにはそれぞれ違った内容の遊びが含まれていますが、「知育玩具」と一つの名称をつけることができるのは、根本の考え方が共通しており、次のような同じ特徴を持っているからです。
どの遊びも、問題集のかたちをとっています。
子どもはキューブ、レンガ、厚紙やプラスチックの正方形、組み立て玩具の部品を使って、この問題を解いていきます。
問題の出し方も一通りではありません。
絵として与えられることもあれば、原寸大の図、文章での指示などによっても与えられます。
子どもは、こうしたことを通じて、情報の伝達にさまざまな方法があることを知ります。
問題の解答も目で見せ、手で触ることもできるものとしてなされます。
そのため、問題と解答をわかりやすく比べることができますから、正しく解答できたかを自分で調べることもできます。
むずかしさも、2,3歳の子どもができるものから、大人でもむずかしいものまで大きな幅があります。
しかたがって、長い間興味を失うことなく、遊ぶことができます。
知育あそびが作り出すもの
知育あそびでは、学習の原則である「単純なものから複雑なものへ」ということと、創造活動の重要な原則である「力に応じて、自力で」ということを一つに統一することができます。
これは、知育あそびの大事な特徴で、この2つの原則が結びついているために創造力発達にいくつかの問題を、遊びながら一度に解決することができるのです。
知育あそびは、内容が多彩ですから、さまざまな知的能力を伸ばすことになります。
注意力、記憶力(特に視覚記憶)、空間を考える力、ものごとの関係・法則性を見いだす力、組み合わせる力、つまり、与えられた要素・部品・物体を使って新しい組み合わせを作りだす能力、誤りと欠陥を見いだす能力、などです。
しかし、知育あそびといっても万能ではありません。
これは才能を伸ばす一つの方法にすぎません。
知育あそびの基礎となっている原則と、その家庭の中での子どもの扱い方のもとをなす原則との間に矛盾が少なければ少ないほど、知育あそびは効果的で有益なものになります。
知育あそびは、パパとママのやり方によって大きく効果がちがってきます。
”やり方”の中にはパパとママが知育あそびそのものを創造的な態度で扱うかどうかも含まれます。
いちばん難しい問題を解いてしまったから終わり、ということではなく新しい問題を考えだしてほしいと思います。
どうぞ、パパもママも創造の世界をお楽しみください。
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