コダーイ・ゾルターンの教育思想【コダーイシステムの特徴】

コダーイの音楽教育

なぜ子どもにとって芸術音楽より伝承音楽から入る方が教育的なのか?ピアジェを引き合いに出すまでもなく、子どものものの見方、考え方は特定の原始民族のものの見方、考え方とよく似たところがあり、また、まったく同じ場合さえあります。子どもの描く絵は、たいていエジプトの壁画やもっと古い原始民族の画に似ています。子どもが、砂場で作るものを見ていると、原始民族が自分の住み家やものをおくところをつくったりしたのと同じ方法で穴を掘ったり、屋根をつけたり、穴と穴をつなげたりしています。

アイヌやインディアンなどの原住民のうたう民謡やお祭りのうたを調べると、ふつうの、より進歩した民族、たとえば日本やアメリカの子どもたちのわらべうたにそっくりなものがたくさん見られます。子どもが月とか太陽とか風とか言った自然現象について抱いている認識、あるいは想像の中で、原始民族のそれと全く同一のものも珍しくありません。何万年もかかって進歩してきた私たち人類の歴史が、新しく生まれてくるどの子の中でも、生まれてからたった6~7年の間に短く繰り返されるのです。

音楽の方向でもこの事実に気が付き、それを音楽教育の原理にすり替えたのが、ハンガリーの作曲家コダーイ・ゾルターン(1882~1967)でした。「わらべうたが大事だよ!!」ということを言いだしたのが、このコダーイ先生。ここでは、コダーイ・ゾルターンの人生と彼の音楽教育についてご紹介します。

 

コダーイ・ゾルターンの生涯

コダーイ・ゾルターン(1887年~1967年)はハンガリーの作曲家、民族音楽学者、教育家、言語学者、哲学者、そして音楽教育者です。ハンガリーは周りを異民族に囲まれ、しかも非常に豊かな階層と、非常に貧しい階層に分かれていました。

 

コダーイはハンガリーのケチケメートに生まれ、幼少時代の多くをガラーンタとナジソンバト(現在のスロバキアのトルナヴァ)で過ごします。父親は熱心なアマチュア音楽家で、コダーイは子どもの頃からヴァイオリンの学習を始めます。聖歌隊で歌い、また曲を書いたこともありましたが、系統的な音楽教育を受けることはほとんどありませんでした。

1900年、コダーイは現代語を学ぶためにブダペスト大学に入学し、同時にブダペストのフランツ・リスト・アカデミーで音楽を学び始めます。

1907年、音楽アカデミーの教授に就任。子どもがうたうのに、適した歌を作ることにも力を入れました。そうした作品に『100の小マーチ』、『333の読み方練習曲』などがあります。

1941年、論文『保育園における音楽』を発表、子どもの音楽教育の改革の必要性を訴えました。

1950年から作曲家のB・バルトークとともにハンガリーの民謡を採集しはじめます。

コダーイは子どもがいないけれど、子どもが大好きで、年がら年中、保育園や幼稚園のまわりをウロウロしていました。どこの保育園がどんなけしからん歌をうたっているのかと、書き留めながら歩きました。そして、名もない子ども、村のおじいさんやおばあさん、子どもたちからいろいろなうたを歌ってもらって集めていくなかで、「これが、ハンガリーのメロディー」というものを見つけ、国に示しました。

たくさんのハンガリーのわらべうた、スロバキアのわらべうた、ドイツのわらべうた、ルーマニアのわらべうたなどを調べていたコダーイは、そのわらべうたの虫眼鏡で見なければならないような旋律とリズムと体の動きの三社一体となった細かい法則のなかに、子どもが秩序だった音の世界に自ら入りこんでいくときに、どのような心的状態が働いているかをつかみます。

外国のすごい文化を取り入れているだけでは文化は育たない。本当の文化というのは、民衆一人ひとりの心に働きかけるようなものが本物の文化なのだといいます。ですから、

「わらべうたを知っている保育者、知っている教師、わらべうたを知っている親だけが、本当に子どもの心を知ることができる」。

「わらべうたを知ることなくして、子どもに接している教育者に、決して子どもが心を開くことがない」

とはっきり示しました。

そして、コダーイは出来上がってしまった芸術音楽をその要素に分解し、分解した要素をやさしいものから順々に並べていったスケールや練習曲、コールユーブンゲン、和製練習などといったものに作りかえました。すべての子どもが(音楽的素質がより多くても少なくても普通でも)生きた音楽そのものに触れながら、なおかつ、その細かい要素を一つ一つ確かに学んでいける方法か何なのかと考えました。後に、彼が理想とした音楽小学校が設立され、現代のハンガリーの音楽教室の礎ができました。コダーイの理念は、いまも世界各国の音楽教育現場で『コダーイ・メソッド』として受け継がれています。

コダーイ・システムの特徴

コダーイ・システムとはハンガリーの作曲家、コダーイ・ゾルターンによる子ども中心の音楽教育のことです。コダーイは、「子どもには、真に芸術的価値のあるよいものだけを、与えなければならない」と語ります。よい芸術を与えることで、精神は健康になる。

そして、芸術の中で、音楽は人々の生活、哲学的に世界におけるその実際的位置は、教育の中で特に重要であると考えました。意識と技術の育成をもって、教育といういろいろな面の中で、コダーイは子どもの生涯のできるだけ、早期から意識的に育てなければならないもの、として音楽を選びました。

音楽は音楽能力だけでなく、子どもたちの能力を多面的に育てるためのもの。実際にコダーイの論文では「音楽におけるリズムは集中力や注意力を研ぎ澄ませ、決断する能力を発達させるのに役に立つ。強弱と音色は、聴器官の感度を高めてくれる」と述べられています。コダーイ・システムには、幼児期と学童期とで年齢にあった目的と課題があります。

【幼児期のコダーイ・システムのポイント】
  1. 母国のわらべうた(民謡)で音楽性を学ぶ
  2. ペンタトニック音楽
  3. 歌をうたう
【6~14歳の音楽教育の目的と課題】
  1. 音楽的母国語の意識的な習得。
  2. 生徒のうたう興味を高めること。
  3. 音楽的興味の教育と指導。
  4. 音楽的能力の発達。
  5. 民謡の水準の楽譜を読み書きできる技能。

 

ここでは、幼児期の音楽教育にポイントを当てていきます。

伝承文化の価値とは? わらべうたの世界

私たちの時代の機械文明の末には、私たち自身の機械化が待っています。この運命から、わたしたちを守るものは『うたうこと』の精神だけである、とも語っています。そして、子どもに最もふさわしい音楽として提唱されたのが、それぞれの民族の『わらべうた』でした。

保育園のための、最も重要な歌の素材は、わらべうたでなければならない、と指摘します。保育園向けのラジオ番組のピアノや、保育園の伴奏では正しい歌い方に導くことはできません。子どものうたは、戸外の空間のイメージで作られたものでなければなりません。子どもは訓練され、効果のためにつくられたプログラムにしばりつけられると、喜びません。互いに見合ったり、効き合ったりすることの方が大切です。これが、未来の同質的社会が徐々に形成されていく道なのです。


ではなぜ、わらべうたが子どもに最もふさわしいのでしょう?それは『音楽の母国語』だからです。わらべうた以上に、その国のメロディーが一体になっているものはありません。生まれてきた子どもに、母親がはじめて話しかける言葉が母国語であるのと同じように、歌って聴かせる曲も、その国で古くからうたわれ、伝承されてきた普遍的な音楽、「わらべうた」であるとコーダイは考えました。

「わらべうたの純粋さの、人間的な価値はたいへん大きい。それは人間同士の結びつき、生きる喜びを高めてくれる」

とコーダイが言うように、乳児期には大人と子どものよい関係が、また幼児期には子ども同士のよい関係もわらべうたのなかで生まれてきます。集団(社会)に適応する能力、自立、自律する力、創造力、想像力、空間認知、平衡感覚などさまざまな能力があそぶなかで育ちます。もちろん音楽的能力も発達します。

「うたうことは子どもの本能的な言葉であり、ちいさければちいさいほど、歌と一緒に動くことを要求する」

というコーダイのことばどおり、わらべうたには動きをともなったあそびがついています。あそぶなかで、子どもたちは自然に音楽のなかに流れる鼓動(拍感)を身につけていくのです。

>>【わらべうた】の効果とは?子どもを育てるわらべうたあそび

 

5度の音階とペンタトニック

子どもの歌う音域は、大人よりずっと狭いということは誰でも知っていることです。では、どのくらい狭いのでしょうか?日本や外国の研究結果によりますと、4歳児で4度くらい、5歳児で5度くらいといわれています。歌える音高としては、D~Aのあたりとされています。

「うたう」という観点からも、狭い音域でできているわらべうたは、子どもにとって無理なく歌える最適な音楽教材です。幼児がうたうほとんどのわらべうたには、幼児の耳には聞こえづらく、歌いづらい「ファ」や「シ」などの半音が含まれていません。そのため、最初はペンタトニック・システムの中で、子どもを育てていきます。

その理由は、

1.半音のない曲はうたいやすい

2.音楽の理解力とイントネーションへの態度が、全音階の順次進行の音程よりも、いろんな跳躍の音程をうたったほうが、よりよく育つため

ということがあげられます。

ペンタトニックの音楽は、おもしろく、変化があります。そして、半音に妨げられることなく、正しいイントネーションに早く到達することができ、完全に明瞭に歌うことができます。

 

 

「ペンタトニックの5つの大事な音(ドレミソラ)をしっかりとつかまえた子どもは、あとから適切な時期に、上からでも下からでもラクに半音をそこにはめることができる」とコーダイは述べています。

コーダイ・システムの中では、聴く耳を育てることはたいへん大事に考えられてり、そのために幼児期に半音なしの歌を正しい音程、イントネーションでうたうということは大切だとコーダイは考えました。このように、乳児期にたくさんのわらべうたを聴き、幼児期にたくさんわらべうたであそぶことで、自分の言語、自分の音楽の根をしっかりと大地に這わせることになります。その上にこそ他の民族の音楽や人類の共通財産であるすばらしい芸術音楽をも積み上げていくことができるのです。

にほんのわらべうた・* 楽譜とCD (福音館の単行本)


>>わらべうたの音楽的特徴

子どもの力を引き出す「歌」

コーダイ・システムにおいて、最も大切な音楽行為はうたうことです。

「より深く、より高度な音楽的教養は、うたうという基礎の上に成り立つ。

誰もが持っている声はすべての人のもので、最も美しい楽器である」

 

とコーダイは言います。

幼児期に平均律のピアノの伴奏をつけて歌うことは、子どもの耳を鈍感にし、清潔に(調子をはずさず、正しい音程で)うたうことに導いてはいかない、とも言っています。たくさんのわらべうたであそぶなかで、自然にリズム感や聴感が育っていきますが、就学前に音楽の基礎的な能力を身につけるため、保育園・幼稚園では大人の計画のもとに、音楽的能力を発達させるための練習をする時間をもちます。

普通30分のわらべうたの課業(大人が目的意識をもって組織する時間のこと)のうち、5分くらいリズムの練習や、聴感を発達させるための練習に使いますが、その練習は子どもにとってあそびと思われるような遊戯的な方法で行ないます。

小学校に入ると、園であそんだ歌が教材になって、リズムや音を学び、楽譜の読み書きもできるようになります。

新しい知識を知識として教えるのではなく、必ず子どもたちが体験したものの中から教えていく、つまり、子ども自身がもっているもののなかから引き出していく、という方法がとられます。

コーダイの夢は、毎日音楽の授業がある学校をつくるということでした。ハンガリーにおいて、それは音楽一般小学校という形で実現されました。音楽は才能に恵まれた特別なひとのためだけでなく、すべてのひとにむけられるものと考えたからです。

「音楽の諸要素は、それぞればらばらでも、価値の高い教育手段である。
リズムは注意力、集中力、決断性、神経を統御する能力を発達させる。
旋律は感覚の世界の扉を開く鍵であり、強弱の諸段階と音色はわたしたちの聴器官感度を高める。
そして、最後に歌をうたうことは、からだの多様な部分の運動を意味する」

 

コーダイことばどおり、音楽には調和のとれた人間を育てる力があるのです。

コーダイは、

「いま時代の機械文明は、わたしたち自身も機械化してしまう。

その運命からわたしたちを守るのはうたうことだけである」

と考えていました。

そして、

「人類は本当に音楽の価値を知るときに、よりしあわせに生きられる」

ということを確信していたのです。

 

>>知っていますか?わらべうたの種類と童謡との違い

 

 まとめ

いかがでしたか?

音楽教育というとなんだかむずかしそう・・・と思っていましたが、「わらべうたが子どもを育てる」とは目からうろこでした。子どもの頃に歌ったり遊んだりしていたわらべうた。幼い頃はただ楽しくてうたっているだけでしたが、わらべうたに込められている意味を改めてかんじることもできました。乳児教室などではわらべうたを紹介してもらったりしていますが、今実際に歌ってみようと思うとあまり思い浮かばなかったり。。。

先日、祖母がテレビを見ていたところ、3歳の息子がテレビで話している人を見て「誰に言ってるの?」と聞いてきました。話をするということは、話を聴く相手が必要になります。息子の言葉を聞いて、テレビのように一方的なものでは、子どもは話す力も聴く力も学ぶことができないように思いました。それと同じようにテレビやCDから流れてくる音楽を聴かせるだけでは子どもの「聴く」という力はつかないのですね。親の歌声を聴くことで、親の愛情が伝わるような気がしました。わらべうたから子育てしてみるのもいいですね。

 

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