モンテッソーリ教育を家庭でするには???
モンテッソーリ幼稚園では教材を使ったりしているけれど、家ではどうすればいい??
モンテッソーリ教育には興味があるけれど、実際はどうしたらいいのかわからない!!!というあなた。
こんな疑問を持っていた!!と思ったら、ぜひ家庭でも参考にしてみてください。
ここでは、モンテッソーリ教育への6つの疑問をひも解いていきます。
モンテッソーリ教育は家庭で実践できる?育児の考え方Q&A
Q1.モンテッソーリ教育ってなにをする教育?
A・子どもの中に潜む本来のよさや未知の可能性が表れるようにお手伝いをします。
モンテッソーリ教育とは、
すべての人間の奥底に秘められている本来のよさや未知の可能性が、自らの力で表れるのを助けるための教育環境や援助の仕方のシステムのこと。
子どもの中に潜む本来のよさや、未知の可能性が表れるためには
1.「自由に選ぶ(自由選択)」
2.「選んだことをくり返しする」
3.「くり返しながら集中する」
4.「達成感、充実感、幸せ感をもって終了することで、本来の正常な状態を生きはじめる(正常化)」
という4つのステップを踏むことが大切だとモンテッソーリは教えてくれました。
モンテッソーリ教育では、子どもがどのプロセスを踏むために、適切な環境を用意し、援助してあげることが必要と考えたわけです。
Q2.さまざまな教材があるようですが、子どもにはまだ早すぎるのでは?
A.子どもが示す興味関心に対して自分で理解し、展開できるように工夫された教材です。
モンテッソーリ教育が知的や早期教育と決定的に異なるのは、まず「日常生活の練習」という分野が出発点であることです。
これは、子どもが日常生活のさまざまな活動を自分で確実にできるようになることを目指しているからです。
つまり、朝目覚めたときから、夜寝るまでの活動のひとつや、折る・切る・貼る・縫うなどの基本動作をどうすれば自分でできるかを考えながら、からだを目的に向かって思い通りに動かせるように教え、練習させるのです。
また、同時に五感を磨く「感覚練習」という分野を丁寧に経験させます。
この2つの分野は自立した人間の土台となるものです。
ですから、この2つの分野ができるようになった子どもは自然と「数」と「言語」の世界に興味を示し始めます。
そして、おもしろいことに「数」と「言語」に親しむと今度はより広く「文化」の世界に興味をもつようになります。
まずは日常生活のあらゆる行動を自分で考えてより確実にできるようになることが土台にあり、その結果子どもが示す興味関心に対して、展開できる教材があるのです。
ところが世間では結果的に生まれた教材やそれによってグングン伸びていく子どもだけを見て「知育だ」「早期教育だ」と批判したり利用したりします。
うわべや結果だけをみて、このような判断をされるのは残念なことです。
Q3.こんなに簡単なことなのにどうしてできないの?
A.大人と子どもはまったく違うのです。
モンテッソーリは、人類には「大人期」と「子ども期」の2種類の人間がいて、その両者は南極と北極ぐらい異なるとさえ言っています。
とくに、
「幼児期」は「自然のプログラム」に沿って
自然から特別に鋭い感受性とエネルギーをもらって、感覚器官や運動器官や脳を完成させていく時期です。
それらができあがってしまった大人にとっては
「こんな簡単なことなのに・・・」
と思うことでも、
まだ自分の意志どおりに随意筋肉を使い、目的に向かって動くことのできない時期にいる幼児は
「どうすればいいのか??」
を理解しながら、自分で何度もくり返しやってみる必要があるのです。
医師であるモンテッソーリは子どもをよく観察し、生理学的・科学的に大人と子どもがまったく異なる段階にいることを知っていました。
そのような生理学的根拠に基づいて、幼児期は
「できるようになりたい」
という強い願望を持つ時期であること、また
「できるようになるために、努力を惜しまない」
という時期であることを知って、子どものその願望や努力を支えたのがモンテッソーリなのです。
Q4.ちいさなことにこだわったり、思いがけないことをして困っちゃう・・・
A.「敏感期」を知ると子どもの行動がよく見えるようになります。
幼児期の子どもと生活する人はモンテッソーリが観察して教えてくれた「敏感期」について知っておくといいでしょう。
幼児期は環境と関わりながら生涯にわたって必要な能力を獲得する時期です。
そして環境のなかから自分に「いま」必要な要素を探しだし、キャッチするための感受性が特別鋭くなる時期があります。
この非常に短い一定期間のことを「敏感期」といいます。
鋭い感受性に導かれて、こどもが些細なことに注目したり、こだわったりしているとそういった感受性をすでに失ってしまった大人は当惑してしまうのです。
20世紀後半になると動物生態学や神経生理学の学者や脳研究者たちが実験などから臨界期や感受性期のことを語り始めますが、それは「敏感期」と同じ事実です。
ところが、臨界期や感受性期として現代の科学者が話すことをいち早く捉えて早期教育に利用しようとする動きがあります。
これでは大人も子どもも苦しくなってしまいます。
それに対し、モンテッソーリが子どもを観察して教えてくれた「敏感期」のことを学ぶと、子どもの行動がよく見えるようになり
「あぁ、敏感期だ~~」
と感動したり笑ったり、子どもとの生活がおもしろくなって心にゆとりができるようになります。
Q5.「敏感期」を逃しちゃった!うちの子もう手遅れなのでしょうか?
A.「いま」表れてくる「敏感期」を見つける努力をしてみましょう。
モンテッソーリは「敏感期を逃すことは終バスに乗り遅れるようなものだ」といっており、それを取り戻すのに大変な努力が必要だともいいます。
けれども、他方ではだれでも敏感期を逃した結果を背負っているのだとも言っています。
敏感期がそれほど大事だということは事実ですが、人間は生涯やり直しがききますし、またそのチャンスがあることも事実です。
「この子は敏感期を逃した」
と気が付いた時点から
「ではいま、この子はどんな敏感期にいるのだろう」
と、「いま」その子が関心を示すことを見つけようと心構えすることがまず大切です。
どんなにやる気がないように見えても、じっくり見ていると必ずいつか何かに興味を示すはずです。
幼児期の敏感期は逃したけれど、「いま」表れている敏感期を見つける努力をしましょう。
そういったあたたかいまなざしがあると、子どもを見る目が肯定的になります。
肯定的に見守られていることを感じると子どもの内面にある力が出てきて、必ず何かに興味を示すときがあります。
そのチャンスをとらえて、無理強いをせずに、子どもが自分で取り組めるような状況を一緒に考えてみてはいかがでしょう。
Q6.「自分でやる!」の一点張り。手を出すといやがります
A.子どもは「自分自身の行動の主人公」になりたいと思っています。
子どもが「自分で!」と言い出すのは、「自分が思うように動きたい」という自由意志が発揮されはじめたしるしです。
子どもは自分の意志がはっきりしてくると自分で筋肉を動かすようになります。
だから大人が手を出すといやがるのです。
そのとき大人がしなければならないのは子どもに代わってするのではなく
「どうすれば自分でできるか」
をわかりやすく教えてあげることです。
まず、難しがっているところをよく見極めることです。
そしてできないで困っている点だけを取り出します。
次にその一点をよく分析して、分析された動作の一つひとつをはっきり、ゆっくりして見せます。
その際に気を付けることは動作と言葉を離すことです。
まず、黙ってゆっくり、最後までしてみせます。
次に
「わかったかな?もう一度やってみるからね」
といって今度は少しだけ説明を加えるのもよいでしょう。
でも原則として、はじめは動作でやって見せる、その後に言葉で説明する。
つまり言葉と動作を一緒にしないこと。
次に、子ども自身にさせるのですが、子どもが教えたとおりにしない場合にも、黙って見守ることが大切です。
「違うでしょ」
と途中で訂正したり、とがめないようにしましょう。
訂正すると子どもは心を閉ざしてしまうからです。
モンテッソーリは「教えながら、教えなさい」と言っています。
間違ったら「もう一度するから見ててね」といって再び正確にゆっくりしてみせましょう。
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