おもちゃで育つ力とは?おもちゃが与える影響は?おもちゃが育てる子どもの心

シュタイナー教育

 

子どものおもちゃの選び方、どうしていますか?

あなたが子どもにおもちゃを買ってあげる時、どのようなおもちゃを選びますか?

おもちゃ屋さんへ行くと、色鮮やかなものや、音の出るもの、動きのあるものなどたくさんのおもちゃがありますね。

初めて見るおもちゃに、幼い子どもは釘付けです!!

このおもちゃだったら、こんなことができるようになるな、とか、うちの子はこのおもちゃ好きそうだなとか、、、

自分の子どもにはいろんなことができるようになってほしいと思うのが親心です。

 

英語が話せて、字の読み書きもしっかりできて・・・いわゆる頭の良い子になってほしいと思ったり、なんでもできるようになってほしいなど、子どもに託したいと思うことはたくさんありますね。

では、教育的なおもちゃとは一体どんなものがあるのでしょうか?

 

一般的におもちゃ屋さんで見かける知育玩具というと、頭を使うルービックキューブや立体パズル、数字の概念がわかるアバカス(そろばん)であったり、寝る前に読み聞かせる絵本、音の出る本などがあります。

では、これらのおもちゃは「子どもの能力を発展させる力をもったおもちゃ」ということになるのでしょうか。

おもちゃで向上が期待できると子どもの知的能力として

  • 思考力
  • 記憶力
  • 判断力
  • 発想力
  • 想像力

があげられますが、そもそも遊びとは一体何でしょう?

私たち大人が考える遊びとは、どういったものでしょう。

子どもが遊ぶ様子を見て、あなたは何を感じますか?

 

そもそも遊びとは子どもが発育するためであり、感覚を磨くためであり、何でもできる人間に成長するための行為です。

子どもは何か新しいことを学ぶと、すぐに試行錯誤を繰り返しながら、新たな才能を発揮して遊び始めます。

やっと歩けるようになった子どもは、踊りを踊ろうとし、話ができるようになった子どもは意味のない歌を歌ったり、早口で訳の分からないことを言ったりします。

自分で着替えができるようになった子どもは、わざと服を間違って着てみたりします。

子どもはどんなこともリズミカルに繰り返しながら、練習します。

遊びを通して生活体験を始めるのです。

では、どういったおもちゃが子どもにはふさわしいものなのでしょうか?

 

これを読めばおもちゃ選びの基準がわかる!おもちゃが与える影響とは?

プラスチックはなぜよくない?本物を与える意味

子どものもつおもちゃとして代表的なものは、「人形」です。

子どもの目は、いつだって大人の動きを追っています。

人形は、母親のまねごとをするのにはちょうど良いおもちゃです。

人形の歴史は記述されているものでは、16世紀から。

しかし、プラスチックの人形があらわれはじめると、大人たちはもう子どもたちのために人形を作ってやる必要がなくなりました。

声の出る人形、オウム返しをするぬいぐりみなど、おもちゃの中に機械音が入っているものが数多くあります。

それはちょうど、テープやCDがあるために、子どものために歌を歌ってあげる必要がなくなってしまうことと同じ現象です。

 

子どもは、大きさや形、素材から物の重さを知ろうとします。

プラスチック製のおもちゃは、実際よりもずっと重たく見えます。

積み木や人形にふれて・・・けれど実際持ち上げてみると、まるで中身が空っぽのような軽さです。

人形というものは両腕に抱いたときに重く、やわらかく、また温かみが感じられるからこそ、子どもも母親のつもりになって、話しかけ、ベッドの中に一緒にねむるのです。

子どもは指先からいろいろなことを学びます。

表面の手触りや、素材の違いを感じ、眠るときはやわらかいものを抱いていたいと思うこともあるでしょう。

もし、人形が車や積み木のような感触だったら、子どもはそのような体験をしないまま成長することになります。

 

プラスチックのおもちゃしかもっていない子どもにとっては、その環境自体が貧しいということになります。

それだけではなく、プラスチックは木やガラスや金属と違って音色というものを持ちません。

叩いても響かないのです。

それと比べると、木製の積み木は見た目通りの重さで、どんな形も作りやすく、何年も遊んでいるうちに隅々まで知ることができるようになるでしょう。

 

テレビを見るようになった子どもは、自分の身の回りの物や人々について、自分の目で発見していくことを邪魔されることになります。

どんなに素晴らしい番組でも、子どもを生活の場から引き離してしまうものなら、少しも成長の助けにはなりません。

 

幼い子どもには単純で理解しやすいものの方がよいのです。

単純な形にも、数えきれないほどの種類があることに、子どもたちは強く引き付けられます。

どんな都会っ子だって、松ぼっくりや、枯れ枝や栗やドングリ、あるいは小石などをそれこそ夢中になって集めるでしょう。

 

人気のレゴ・ブロックは様々な形のものが出てきていて、船や飛行機、戦車など箱を見ただけで子どもの心をひきつけますね。

いろいろな部品をくっつけて、想像力を刺激し、乗り物を作ろうという気にさせてくれます。

けれども、それはレゴという土俵の上でのことなのです。

レゴの二つの部品をくっつけるという作業は、どこまでも同じことの繰り返しなのです。

そのため、形の不揃いな木切れで遊ぶことの方が、子どもの経験は豊かになるのです。

さらに、木切れなら自分で削ってもいい、釘で打ち付けたり、色を塗ることだってできます。

木切れのようなさまざまな大きさ、形のものを使って何かを作ろうとすれば、レゴよりも幅広い想像力が要求されるのです。

1日中レゴで遊んでいるのであれば、いろいろな面から子どもの発育を助けるようなものが他にないのかと、問うてみるべきなのです。

 

 

おもちゃの色

近代的な保育所にはけばけばしいはでな模様がいたるところにあふれています。

これは、子どもははっきりした色彩好むものだ、というのが一般の通念になっています。

しかし、色や光は人間の滋養ともなるものです。

体の細胞一つ一つにまで、影響を及ぼすものなのです。

人工的な光の中で長時間過ごすことは、体に影響が残ることは間違いありません。

 

「目の前が真っ暗になった」「恐怖で真っ青だった」「真っ赤になって怒った」など、私たちは色で自分の感情を表します。

真っ赤な部屋にいる時と青色の部屋にいるときとでは、気分が全く違ってきますよね。

 

均一にムラなく塗られた色やどぎつい色よりも、明るく透き通った色を見るほうが、目のためにはよい訓練になります。

日の光の中には、すべての色のスペクトルが揃っています。

わたしたちの目にとってこれは当たり前のことで、眼は何かを見る時にはこの色のスペクトルのうち欠落しているものを補おうとします。

青い色を2,3分じっと見た後に、白い壁を見ると残像が橙色の点になって見えるはずです。

つまり、たとえどんな色を見ても頭の中にはその補色が浮かび、つねに三原色が意識されるようになっているのです。

 

子どもは、こうした現象をみずから生き生きとした形で体験します。

そうであればこそ、自分の好きなおもちゃや気に入っている人形の色は大切なものだと言いたいのです。

色の持っている光としての性質を強調するには、明るく透き通った色を使うことです。

子ども部屋を透明感の高い色で仕上げれば、圧迫感もなく、生き生きとした雰囲気になるでしょう。

 

横になって壁紙のシミを眺めては様々な思いをめぐらせたり、木目を人の顔や動物に見立てて遊んだ思い出があなたにもあるのではないでしょうか?

でも不用意に人工的な着色を施せば、それはたちまち失われてしまうことでしょう。

 

地水火風の四大元素は素敵な遊び相手

四大元素(地水火風)、太陽、月そして星は四季の移り変わりとともに、就学前の子どもにとっては汲めども尽きぬ活動の源です。

ふわりと軽い羽根はひと吹きすれば遠くまで飛んでいきます。

風の力ではタコは空へ。

風車はくるくると回り、落ち葉は追いかけっこを楽しませてくれます。

焚火に火をくべ、残り火に空想をたくましくします。

心地よく暖を取り、煮炊きができるのも火のおかげです。

夏の砂浜ではトンネル掘ってバケツで水を運んできたり、家に入ればお風呂での水遊び。

子どもたちはどんな所に住んでいたって、まだ舗装されずに残っている場所を探し出そうとするものです。

とくに、雨が上がったあとに、泥の中に足を突っ込んだりするのは最高の楽しみです。

子どもたちの自発的な遊びや自然が与えてくれる直接的な体験を、決してないがしろにしてはいけません。

こうして雨が降るんだよ、こういうわけで雪が降るんだよ、などと子どもに説明してはいけません。

子どもには無味乾燥な百科事典の説明を聞かせたりしないようにしましょう。

就学前の子どもの持っている素晴らしい想像力を守ってあげましょう。

子どもの見るものすべてに現実があり、真実であるからです。

その子どもたちも、やがて“目覚め”それが本当かどうかを知りたくなる時が来るでしょう。

その時まで、どうか心に映るイメージを大切にしてあげてください。

 

子どもの成長段階とおもちゃの選び方

おもちゃを選ぶとき、まずは子どもの成長過程を知ることで、その子どもにとって必要なおもちゃはどんなものかを知ることができます。

年齢によってできる能力が変わっていきますので、使うおもちゃも変わっていきます。

 

ここでは、子どもの身体的な発達過程ではなく、子どもの精神的成長過程とともに、おもちゃの紹介をしていきます。

子どもがどんなふうに生まれてきて、世界を見ているのか。

何に興味を持ち、どんな体験をしていくのか。

そこに焦点を当てて見ていきましょう。

 

乳児

生まれたばかりの子どもは夢の中で過ごしているようなものです。

愛情に包まれ、気分のよいときにだけ、自分の目で周りを見渡すことができます。

色や光、音や動き、においなどすべてが食べ物と同じように栄養補給の役割をはたします。

赤ちゃんがどんなものでも吸収してしまうのは、自分の体の内部と外部との境界線がまだはっきりしていないからなのです。

激しい音がしたり、突然寒くなったりすると赤ちゃんは驚き、体内の血管が収縮します。

そうなると、自分の状態を正常に戻すエネルギーが必要となり、外部の出来事に興味を持つことができなくなってしまいます。

そのために、乳児にはあまり強いショックを与えないように気を付ける必要があります。

 

乳児にとっては毎日の出来事が同じ順序で繰り返されている方が、お手本を見つけやすく、一人でゆっくりと学び始めるのにも都合がいいものです。

毎日自分が受ける身の回りの世話や、その世話を焼いてくれる母親やその他の人との出会い、様々な部屋の様子や外に出かけたときの印象などは、生後数か月の乳児にとっては受け止めかねるほどの大事件です。

 

自分のこととして考えてみてください。

床にあおむけになって、うつ伏せもできない状態で横になって下さい。

物事を理解する大人の知恵はなく、ただ床に転がって、周囲の印象だけがあなたを包むのです。

家具やカーテンや電灯を奥行のない色や点や形としてとらえてみると、なんと驚くべき世界にいるのかわかることでしょう。

幼児の健全な発育のために特別に工夫されたおもちゃは必要ありません。

 

けれども、生まれたばかりの子どもに何かを送りたいという気持ちは当然あります。

そういったときは、次のようなおもちゃがよいでしょう。

*乳児のおもちゃ

・ベッドや寝かせる台の上に吊るすモビール

⇒すきま風にのんびりと反応しながら、ゆっくりと形を変えます

 

・赤ちゃんが持ち上げられるくらいの大きさの人形

⇒肌さわり、重さなどが感じられるもの

 

・布や毛糸でできたガラガラ

⇒自分の腕を動かして音が出るもの

 

・柔らかな布のボール

⇒赤ちゃんが片手で持てるくらいの大きさがよい

 

 

1~2歳の物まね時代

子は親の鏡です。

大人が食器洗いをしていると、足元にきて布巾で食器を拭こうとします。

絵本を読み聞かせると生まれたばかりの妹にも絵本を見せてあげます。

子どもは大人のするとおり真似をします。

子どもの行動はすべて大人のようになりたいという強い欲求から起こってきます。

子どもが親の行動やくせ、特徴をまねる正確さといったら、これは想像を絶するほどです。

もし私が、おもちゃも人形も一食卓にしておもちゃ箱に放り込んで片付けるようなことをしていれば、子どもだって乱暴におもちゃを扱うようになるのは当たり前なのです。

 

*望ましいおもちゃ

色は光、光は栄養。

自然で素朴で、手でつかむことのできるようなものが、就学前の子どもには一番ふさわしいものです。

重たそうに見える積み木は実際に重たくなくてはいけません。

“うそつき”のものを与えないようにしましょう。

 

・作り方の分かるもの。

+大きなおくるみ人形

+段ボールで作った人形のベッドやゆりかごなど

+両手で投げられる大きめのやわらかいボール

+隠れ遊びができるような毛布

+こまごまとしたものを入れられるかごや引き出し

+動くおもちゃ(ひっぱると歩くアヒルなど)

 

3~4歳の言葉とリズム

子どもはしだいに複雑な体の動きをコントロールできるようになっていきます。

とんぼ返りをしたり、坂になった草原を横になって転がったり、体を揺らしてぐるぐる回ったりもします。

こうした身体的発達とあいまって、口もどんどん達者になっていきます。

走ったり飛んだりできるようになった子どもは、詩を作ったり、歌をうたったり、詩歌を暗唱したりし始めるのです。

幼児は言葉の調子の一つ一つの音をためしているのです。

「お馬の親子」の歌に合わせてひざに乗るときの、3歳児の目は輝いています。

私たち大人にしてみると、昔の子守歌や童謡の歌詞は、時代遅れで奇妙に感じられることがありますが、子どもにとっては歌詞よりも、そのリズムや音の調子に関心を寄せるのです。楽しい歌ならばすぐに心惹かれ、覚えてしまいます。

 

3歳ころになると絵を描きたいと思うようになります。

紙いっぱいにぐるぐると曲線やらせんを連続して描いていたのが、バツやマルを単独で描くようになります。

輪は調和や統一の象徴、閉じられた空間です。

これは、内側と外側が存在するということに気が付き始めたということです。

自分というものを意識し始める時期であり、この段階にきてはじめて、子ども時代の記憶が生まれるといってもよいでしょう。

 

丸い輪からは胴なし人間ができます。

頭から直接手足が生えているのです。

この時期になると、ぼくがどのように他人とかかわっているのかを試そうとして、しきりに欲しがってみたり、嫌がってみたりします。(イヤイヤ期とよぶ行動)

そして子どもは、どこまでが限界なのかを学びます。

ここまでなら許してもらえる、これ以上はダメなのだと。

 

遊びの最中に変化はしょっちゅう怒ります。

部屋の中を見渡して、目に入るものはどんなものでも使います。

ソファーは船、だったかと思うとたちまち毛布の屋根付きの家に早変わり。

この年代の子どもたちの遊びは、身の回りのものから受ける印象に大きく左右されます。

子どもたちが、遊びの中で言葉とものと経験をごちゃごちゃに混ぜ合わせて、どこにもないような「ごった煮」を作り上げてしまうのは、われわれ大人が夢の中で自由に様々な思いを組み合わせ、一つに結びつけてしまうのと似ています。

 

子どもは与えられたものを、記憶の中でブレンドして楽しみます。

その時の気ままな思い、目にやきついた印象、部屋の家具、言葉に出さなかった欲求、自身の体で体験したこと、様々な音、お母さんに言われたこと・・・・。

子どもはその瞬間に、自分の中に、あるいは周りにあるすべてを使ってすばらしいコラージュを創造します。

遊びを続けながら、自分の知っているあらゆる言葉と、音を使ってそれらが有効かどうか、他の子どもたちが理解してくれるかどうかを試しているといってもいいでしょう。

 

筋肉を長い間一方的に緊張させておくのは、子どもにとってはとても悪いことです。

子どもは、生き生きとした動きのある行動を望んでいるのです。

だから次々に遊びの種類を変えていったとしても、それは決して集中力のなさを意味しません。

子どもはもともと陽気で活発な存在なのですから。

 

一方、テレビというものが、子どもの活動に変化をもたらしてくれると思ったらそれは思い違いというものです。

実際にテレビを見ている子どもは、長時間座っていることを強要されているのです。

そして、その間眼の筋肉は、ずっと一定の場所に固定されることになります。

テレビの映像は、鏡に映る影のような奥行を持っておらず、テレビ受信機への距離は変化しないからです。

子どもは動きや変化を好むといっても、なんでも変わり続けてさえいれば満足だというわけではありません。

それどころか、同じ話を何度も何度も聞きたがるものです。

聞くたびに言葉が違っていると、すぐに気がつきます。

幼い子どもは、単純だけれどもこわい話や言葉遊びを好みます。

例えば、「100万びきのねこ」「パンケーキ」「七匹の子ヤギ」「三匹のヤギのガラガラドン」「三匹の子ぶた」などです。

私たち大人が、同じ言葉を繰り返す単調さをがまんしさえすれば、いかに子どもが限られた言葉による表現を喜んで吸収するかということに気が付くことでしょう。

子どもたちが自ら吸収して自分たちの遊びの中で使うようになるのは、故渡場相互の関係、つまりリズムやメロディーなのです。

 

毎晩読み聞かせてもらう短い詩やお話は、子どもにとっては安心して眠りの世界へと入っていくための入り口となります。

 

何度も一つの行動を繰り返していると、私たちはその行動を、よりバランスのとれた見方で眺めることができるようになるものです。

同じ話もたびたび繰り返すことで、一度だけ聞いて、またすぐに次の話に移っていくようなときには気が付かなかった細かいことに、気づくようになるものです。

 

私たち大人は、子どもにありのままの現実をみせようとやっきになります。

子どもを連れて、世のなかの様子を見学しに出かけ、美術館や動物園へ子どもの目を楽しませようと、また教育のためにと、連れ出すでしょう。

けれども、動物園では、リスが手の上に乗りにきたり、スズメが肩にとまりにきたりするほどのんびり過ごす余裕もなく、あわただしく子供を引き回すのです。

「ほらほら、いそいで!!早くしないとクマさんだって見る時間がなくなっちゃうわよ」

通路をよこぎるアリの行列の姿に見入っている子どもを、大人はこう言ってせかすのです。

何時間も子どもののろのろ歩きに付き合わされて、くたびれ果てて家に帰ってみると、なんと腹立たしいことに、3歳の子どもにとって一番印象に残ったことは、そのアリだったりするんです。

アリを見るために、動物園に出かけていく必要があるのでしょうか。

 

子どもは、遊びながら徐々に自分の体を思い通りに動かせるようになり、同時に言葉も使いこなせるようになっていきます。

言葉遊びや韻律は、子どもの頭脳にとって欠くことのできない栄養であるとともに、想像力を育て、言葉の発達をうながすもととなります。

 

就学前の子どもは「今」という、この現実のなかで育てましょう。

幼児には、漫画や風刺は理解できません、

ですから、動物なら動物で、その特徴をしっかり備えたものを与えた方がよいです。

だたし、図鑑などはさけましょう。

 

3~4歳の子どもはものの変化を好みます。

しかし、かたよった訓練は、子どもに過度の負担を強いることになります。

体を動かす運動と、目的を持った手作業のような活動を交互に行わせるようにするといいでしょう。

 

反復は安定感をもたらします。

毎晩同じ詩、お話を繰り返し聞かせてもらうことで、子どもは安心して眠りにつくのです。

 

子どもは、遊ぶのにそれほどたくさんのものを必要とはしません。

親自身の暮らしや生活の中から出てくる不用品を与え、おとなの仕事に参加させればいいのです。

 

*望ましい遊びとおもちゃ

+大きな単純なつくりの人形

+簡単に着せ替えのできる人形のための衣服

+枕、毛布、シーツなど、子どもが初めて用意する寝具類

+おままごとや扮装遊びをするときのための明るい大きな布類

+形の面白い帽子、古いハンドバック、アクセサリー類

+かわいい色の色紙、薄紙、毒性のない糊

+クレヨン(蜜ろうクレヨン)

+建物をつくるための様々なかたちの積み木

+単純な形の動物のおもちゃ

+動くおもちゃ(跳ねる人形、餌をついばむめんどり、木を切るおじいさん)

+きれいな小石や小物を入れるための小さな籠や箱

+木馬

+横に倒しても毛布を掛ければ店や家や車にもなるようなテーブル

戸外では

+バケツ

+シャベル

+熊手

+ベンチ

+ボール

+風車

+ブランコ

など

>>シュタイナーのおすすめおもちゃ  

着想と発見のころ 5~6歳

5歳という年齢は、一般に穏やかな精神状態を維持し、自分自身に対してとても満足して過ごす時期です。

落ち着きがまし、はっきりした目的をもって行動しているという印象を受けます。

思い通りにならないからといって、床を転げまわったり、足をバタバタさせたりするのではなく、何が気に入らないのかを言葉で表現できるようにまでなります。

 

5歳の子どもは、文字に大変興味を持つものです。

しかし、この興味も、6歳になるといったんおとろえ、体を動かすことに夢中になって、大人の目にはちょっと落ち着きのない存在と映るでしょう。

そして、7歳には再び文字に興味を示し始めるようになります。

 

文字というものは、幼い子供にとっては抽象的にすぎ、あまりにも活動性に乏しく、とてもふさわしい刺激とはいえない代物です。

もちろん、早い時期に読書をしたがる子どもをとめるわけにはいきませんが、長時間にわたって本や雑誌を読み続けることがないようにすることは可能です。

子どもには、たくさんの物語を聞かせたり、他の子どもたちとの活動的なふれあいの時間を確保してやることが大切だといえます。

 

また、子どもはいろいろな質問をします。

その際、大人がその心に無理なく広がっていくような、示唆に富む答えをしてやることができれば、それに越したことはありません。

間違っても、テレビ番組や本を見せて、安易に人間の体を部分部分にわけ、内臓や血液の流れ、筋肉の構造などの説明を与えてはなりません。

そのようなことをすれば、子どもは自分の体のあちこちが痛いと思うようになり、心気症(ヒポコンデリア)の症状を呈するのです。

 

そうならないために、子どもの想像力に生きたイメージをしっかりとつかませて、自分自身の力で概念形成ができるようにしてあげましょう。

 

この年齢の子どもたちは、自分が何をしたいのかということがはっきりわかるようになっています。

子どもが自分自身で遊びの全体像を把握できるといってもいいでしょう。

子どもたちが遊んでいるときにどんな話をしているのか聞いてみるといいでしょう。

まず、遊びの枠組みを決め、言葉も過去形を使って遊び始めます。

そして自分の意にそぐわなくなったら、さっさと撤退してしまうのです。

 

子どもは、まだ言葉で表現できない多くのことを絵であらわします。

しかし、親が子どもの描いた絵に興味を持ちすぎると、子どもが意識し、その結果のびのびと絵を描くことができなくなってしまうことがよくあります。

ほめてやらなければいけないのは結果、すなわち出来上がった絵ではなく、子どもの活動そのものなのです。

 

親というのは、自分自身に対して過大な要求をしがちなものです。

子どもが遊んでほしいと言い出すと、時間がかかるから今はダメよ、とつい言ってしまいがちです。

しかし、実際に付き合ってほしいと思う時間は驚くほど短いものなのです。

 

私たちは「印象」とい言葉から、見たり、聞いたり、感じたり、嗅いだり、味わったり、経験したりすることが、私たち自身を形づくっているのでということがわかります。

諸感覚が受け取る印象と、それを解釈する私たちの能力が相まって、私たちは現実の世界に適応していくことができます。

だからこそ、感覚が正しく機能するように、私たちは注意を払わなければなりません。

私たち現代人の感覚は、今や必要以上に鈍化された状態にあるといえるからです。

 

都会には静けさを怖がる子もいます。

それは普段、家の中でしているちょっとした物音に気付いていないからでしょう。

こういう音は、交通の騒音や、騒がしい保育所の中、あるいは親がいつもつけっぱなしにしているテレビやラジオのために、昼間は聞くことができないのです。

 

感覚を磨くには時間が必要です。

子どもがまず単純でほのかな感覚を経験することから始めていけば、さらにもっと複雑で強烈な印象も、あとになってずっと楽に受け止めることができるでしょう。

 

音楽を聞くときにだって、いきなりフルオーケストラではなく、単純な音符から始めるほうが子どものためにはよいのです。

一人の人間が唄う生の歌声や一つの楽器から流れるメロディーに耳を傾けるのが子どもにとっては一番なのです。

子どもが新しいものを受け入れることができるようになるためには、自分で自分を認識することが必要です。

耳がすべての音域をとらえられるようになるためには、静寂の何たるかを知らなければなりません。

 

幼い子供は、自分のまわりの愛しい人たちのもつ様々な特徴を真似ます。

まったく健康体なのに、背を丸めたり、グダッとしてみたり。

こういった子どもたちの例が数多く報告されています。

しかし、そういう子どもたちは、ただ親の動きを真似ているにすぎません。

人だけではありません。

大好きなおもちゃ、特に人形やふわふわの動物も子どもに影響を与えます。

同様に、もし子どもたちが寝る前に一時間もテレビを見る習慣を続けていると、子どもの行動様式はそのテレビ番組内容に強い影響を受けることになります。

 

5,6歳の子どもというのは、ときに大人のような落ち着きをみせ、“哲学的”になることがあります。

大人に求められるのは、そういう子どもの質問にストレートに答えを与えることではなく、ほのめかすこと。

子ども自身の想像力が育っていくような配慮をすることなのです。

 

この時期の子どもは、すでに遊びのヒントを自分の頭の中から見つけ出していきます。

遊びを始める時に、大人が考えているほど手助けを必要としません。

 

さまざまな特徴が暗示される毛の人形や、単純で素朴なドールハウスなら、子どもの想像力を刺激するのには持ってこいです。

どこまでも、子どもの思いのままに変化させられるからです。

種々の印象が子どもの中に刻まれ、子ども自身を形づくります。そのような印象を子どもに受け取らせたいのかを慎重に考えながら、選び取ることが大切です。

感覚の発達には時間が必要です。

単純でほのかな経験から始めていきましょう。

色でも、音楽でも、踊りでも・・・・。

 

*望ましい遊びとおもちゃ

+子どもが自分で作った結び人形

+ドールハウス人形や人形一家

+手作りの賀k具や調度品

+みつろう粘土(よい香りがして、上品できれいな色。中毒性もなく。手の中に包んで温めれば、いろいろな形に変形させられ、固まればそれを使って遊ぶこともできる。何度でも永久に繰り返し使える)

+布や糸と針の入った簡単な裁縫セット

+遊びに使える布やカバン、扮装用の衣装

+蜜ろうクレヨン、水彩絵の具と幅広い絵筆、大きめの紙

+木の切れはしや棒、金づちと釘。だたし、木を切るときは大人が手伝うこと。サンドペーパーややすり。ボンドも。

+粘土

+自動車のおもちゃ

+空き箱や空き瓶

+こまごましたものを入れる籠

+ブランコ

+手触りのやわらかい、あるいは固めの動物と家畜小屋の囲いにする積み木

 

戸外では

+コマ

+たこ

+ボート

+紙飛行機

+バケツやシャベル

+引き車

+縄跳び

+おはじき

 

学齢期の子ども

戦いのおもちゃ

少年が、おもちゃ小拳銃を欲しがり、買ってくれないといってはお母さんに食ってかかり・・・お母さんが根負け。

その少年が、他の子どもたちに向かってそれを撃っているのです。

もしあなただったら、そんなときどうしますか?

 

子どもというものは、だれでもみな戦争ごっこをするものだ、それは自然な遊びなのだ、という考え方を持ってはいませんか?

それは、戦禍に巻き込まれた地域で育った子どもだけが、その恐ろしい経験から抜け出すために戦争ごっこをする必要があるのです。

平和な環境で育った子どもたちが、なぜお互いに争いを仕掛ける必要があるというのでしょう。

なんであれ、拳銃のような物騒なものを他人に向けたりしてはいけないと子どもに教えることが、親にとって大切なことだと私は思います。

狩猟のために銃を使うのはよしとしても、他人を脅す道具にすることは絶対に避けさせるべきです。

 

望ましい親の態度

遊びは子どもの仕事です。

でもそれは、子どもが自分自身のためにするという意味において仕事なのです。

子どもが遊ぶのは、自分自身の成長のためだからです。

しかし、既成の出来上がったおもちゃは子どもの創造性を支配してしまいます

つまり、既成のおもちゃを子どもに与えるということは、私たちの意見を子どもに押し付けてしまっているということなのです。

本来、創造的な芸術家である多くの子どもが、既製品の収集家に変えられてしまっているのです。

 

私たちは、たった一つしか選べないような状況に子どもを追い込むべきではありません。

むしろそんな場合は、子どものために親が選んであげた方がいいのです。

 

遊べない子ども

多くの子どもが、意志薄弱の問題を抱えています。

そういう子どもたちは、すぐに物事に飽きてしまうことが多く、気力にも乏しいのです。

「つまらない」といって遊べない子どもは、自分のすることを見つけることができず、いつも楽しませてもらいたがります。

 

治療法としては?12歳くらいになるまで、テレビを全く見せないことです。

そして、おもちゃを持ちすぎているようであれば整理しましょう。

また、そういう子には、自分が始めたことを最後までやり通すことによって意思を鍛えさせ、自ら進んで行動するように仕向けることで、その感激を味わわせてやることが必要です。

そういう子どもたちが、自分のしたいと思うことを考え付いたときには、けっして「ダメ」という言葉を聞かせてはいけません。

自分に割り当てられた軽作業をこなしたりすることが必要なのです。

それによって、思考力や感情が育つように、意志の力も発達するのです。

 

子どもがまだ7歳になっていないのなら、言葉ではなく行動で話しかけるようにしましょう。

その子の興味を呼び覚ます最良の方法は、親自身が何かで忙しくしていて、どうしてこの仕事はこんなに込み入って難しいのかと、たえずぶつぶつ言い続けることです。

遊戯や考え事を途中で投げ出さないで最後までやり通す意思を育てることも、不可能ではありません。

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