独特の子育てスタイルを築いたニキーチン夫妻。
ニキーチン家の子育ての具体的な例は、『ニキーチンの知育あそび』のなかで多く書かれています。
そのユニークな子育ての秘訣は子どもを信じるまなざしにありました。
ニキーチン夫妻の教育
子どものもつ力を信じる
ニキーチン夫妻の長男は、赤ちゃんのころからひどい湿疹が出ていました。
あらゆる治療を試みましたが、効果はありませんでした。
そんな時、朝、ペチカを焚く前の方が赤ちゃんの具合がずっといいことに気がつきます。
ある冬のこと、外へ連れ出してもいると赤ちゃんは大喜び。
30秒ほどのお散歩でしたが、赤ちゃんはもっともっととせがみます。
そこで毎日続けてみると、一週間後には湿疹も緩和し、1歳半の頃には自分から雪の上に裸足で飛び出すほどに。
周囲からは大反対の声が押し寄せましたが、そんな時に支えになったのは
「寒さが子どもたちにとって快適である限り、危険だったり害があったりするはずがない」
という直感的な確信でした。
自然がからだを弱くするのではなく、生活条件こそが赤ちゃんのからだを弱くしていると考えたのです。
レーナさんはこう言います。
「一番大切なのは、信じることが病気を防ぐうえでもっともよい方法だということ。
ただ自分の恐怖心と不安感から
『走っちゃダメ、転びますよ!』
『窓を閉めなさい。風邪をひきますよ』
等々言って、疑おうともしない人々がたくさんいます。
それはただ必ず病気をするものだという考えを子どもにうえつけるだけですし、そして実際にもそうなってしまうのです。
こうして悪循環がはじまります。
過保護ー厚着ー柔弱ー病気ー病気への恐怖心ーそしてさらに過保護・・・という具合に。
そして子どもたちは病気がちで虚弱だという暗示にかかってしまいます。けれど、実際は子どもは健康で丈夫なのです。」
「危険」を体験させる
子どもたちの周りには数えきれないほどの「危険」があふれていますが、いつも大人の目が届くとは限りません。
共働きだったニキーチン夫妻にとって、いつも子どもたちから目を離さずにいるということは不可能なことでした。
そこで二人は子どもたちが「どうしたら『危険』にあわずに済むか」ではなく「どのようにして『危険』から自分自身の身を守るのか」
を体験から学ばせることにしました。
「わたしたちは子どもたちに、ちいさな金づちや斧や箒などという道具を与えただけでなく、誰にも頼らず自分の力で物を知る機会を与えました。
家にある危ないもの(マッチ、ピン、針、はさみ・・・など)も隠したりせず、それがどんなものか覚えさせてやりました。
ですから、赤ちゃんはちいさいうちから『アイロンは熱く、針はとがっていて、マッチは火を出し、はさみでは指を切る』ことを知っていました。」
とはいえ、全くの放任では大事に至ってしまいます。
そこでニキーチン夫妻は赤ちゃんが危ないものに近づいたとき、「あ、あ」と危険を知らせ、それでも触りたがる場合は
「危険のない程度に、けれど痛みを感じる程度に」
それに触るのを黙認していました。
こうして、赤ちゃんは、体験から危険を知ることでだんだん用心深くなり、また大人の「あ、あ」という危険信号の意味も分かるようになっていったのです。
社会通念よりも自分たちの「子育て」を
寒い冬に子どもを裸で外に出す、暑い日に子どもに帽子をかぶらせない・・・・。
ニキーチン夫妻の育児法は同居していた祖父母や近所の大人たちなどから強い批判を受けていました。
しかし、
「子どもは機嫌よく、元気いっぱいで病気もしませんし、滲出性体質もじきによくなった」
なのでニキーチン夫妻は自分たちの感覚と子どもたちの力を信じ、決してその教育方針を変えることはしませんでした。
また、幼いころから運動をさせたり、知育あそびをしたりしていることに対しては
「頭やからだを使いすぎではないか。子どもたちがかわいそうだ」
という批判もありました。
しかし、それらは、あくまでも
「子どもたちの自由な意思で行われるあそびの一環」
でふたりが子どもたちに強制することはなく、むしろ大人の強制はマイナスにしかならないことを二人はよく知っていました。
「『おのが道を行け。ひとびとをして言うに任せよと言います。
わたしたちは、この言葉で自らのこころを励まし、社会通念だの社会的偏見だののなかを臆せずつき進んでいける自分たちを誇りにさえ思っていました。
それはいまでも 誇っていいとは思います。
でも家の中が優しさにあふれ、周囲のひとびとがみな思いやりの心をもって暮らしていることが、子どもたちにとってどんなに大切なことなのか。
もしも、各々が自分ばかりを主張し、無神経なものの言い方ばかりしていたら、暖かい雰囲気などどうしてできましょうか」
子育てには自らを信じる強さと、周りのひとを思いやる気持ちを併せもつことこそが、大切なのですね。
過保護は大敵
ある母親がニキーチン夫妻に子どものことで相談に来ました。
「この子ときたらなんだか無気力で、何に対しても関心を示さないんです。
わたしでさえも、この子にとっては必要がないみたいなんです」
子どものために仕事を辞めて、朝から晩までつきっきりというその母親を見ているうちに、ニキーチン夫妻は悩みの理由がわかってきました。
「彼女と息子さんをちょっと観察しただけですぐにわかりました。
この母親は、やれお散歩、やれ食事、そらお絵かきという具合に、ひっきりなしに世話をやき、子どもが自分一人で周りのことを覚えていくひまを一分も与えていないのです。
すべて親が用意してしまい、しかも『与えすぎ』なのです」
それではニキーチン家では子どもたちを放りっぱなしにしていたのかというと、決してそうではありませんでした。
むしろ親子のコミュニケーションは大変密なものでした。
たとえば、ニキーチン家のくらしが大変だったとき、レーナさんは家計を助けるためにエプロンを縫う内職をしていました。
「ニイトチカ・ニキートチカ」(ニキーチンの糸)と呼んでいたこの「工場」は家族全員で力を合わせてやっていましたが、約2年続いたこの時のことを、家族の絆の強さを感じる、楽しい日々だったと、後に子どもたちも語っています。
*「ニキーチン夫妻と七人の子ども」より引用
まとめ
ニキーチンの子育ては世間では考えられないようなことが多く語られています。
しかし、親となり子どもを育てていくうえで何を信じたらよいのか、多くの母親が悩むことだと思います。
ニキーチン夫妻の自分たちの感覚と子どもたちの力を信じた育児方針は親としての愛で溢れていたんですね。
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