2019年、初めて日本にイエナプラン教育の学校が開校されました。
イエナプランの創始者となる人物がペーター・ペーターセンです。
ここではペーター・ペーターセンについてご紹介します。
ペーター・ペーターセン
ペーター・ペーターセンはドイツの教育学者。1884 – 1952年
ヴントらの教えを受け、哲学史・文化哲学を研究。
高等学校教師を経て、1923年イエナ大学教育学教授となります。
イエナプラン教育の生みの親ペーター・ペーターセンは、二つの大戦の間のドイツ、経済不況で人心が腐敗し、政治家も軍隊も規律とモラルが荒みきっていた時代に、民主的な社会の理想を掲げ、異年齢学級を基盤とした自立と共同の涵養を何よりも追求した教育理念を作り上げようと努力しました。
そして、米国で教育を視察・実験し、’24年以来それをもとにイエナ大学付属学校で実施しました。
ペーターセンが、「小さなイエナプラン」という、ほんとうに小さな、けれども、イエナプラン教育の関係者の間ではバイブルのように読み続けられている本には、次のような珠玉の、しかし力強い言葉が残されています。
将来どんな政治的、経済的な状況が生じるか、私たちは誰も知らない。
未来は、人々の不満、利益追求、逃走、そして今の私たちには想像のできない新たな経済的、政治的、社会的状況によってきまるだろう。
けれども、たった一つ確信をもって言えることがある。
すべての厳しく険しい問題は、問題に取り組んでいこうとする人々がいて、彼らにその問題を乗り越えるだけの能力と覚悟があれば、解決されるだろう、ということを。
この人たちは、親切で、友好的で、互いに尊重する心を持ち、人を助ける心構えができており、自分に与えられた課題を一生懸命やろうとする意志を持ち、人の犠牲になる覚悟があり、真摯で、嘘がなく、自己中心的でない人々でなければならない。
そして、その人々の中に、不平を述べることなく、ほかの人よりもより一層働く覚悟のある者がいなくてはならないだろう。
(ペーター・ペーターセン「小さなイエナプラン」(1927)より、訳:リヒテルズ直子)
ペーター・ペーターセンとイエナプランのはじまり
イエナプラン教育は、ドイツのイエナ大学の教育学教授だったペーター・ペーターセンが、付属校での実験をもとに1920年代に提唱した教育方法です。
1924年に子どもたちが“根幹グループと呼ばれる異なる年齢のグループで教育を受ける”という小さな試みが始められたのがきっかけでした。
その後オランダのスース・フロイデンタール・ルターが1955年にペーターセンのイエナプランを発見し、研究が重ねられ、1962年にイエナプラン・スクール建設され、以降驚くべき早さで普及し、現在220校以上のスクールがオランダで活動しています。
ドイツではさまざまな事情があり、普及しなかったものの、1960年代にオランダで紹介されて急速に広がっていきました。
当時画一的授業のために多数の「落ちこぼれ」に悩んでいたオランダで、イエナプラン教育は、適性や発達のテンポの異なる子の個人差を考慮し、子どもがそれぞれ最大限に発達することを保障する授業方法として、学校だけでなく、教育制度改革にも大きな影響を及ぼしました。
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