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幼稚園はどうして始まった?ドイツの歴史から見る幼児教育

公開日: : 最終更新日:2019/03/28 世界の教育, イエナプラン教育, シュタイナー教育, フレーベル教育

     

ドイツの教育思想家

幼稚園の創始者であるフリードリッヒ・フレーベルはドイツ生まれです。

このことから、ドイツは幼児教育が発展している?と思われるかもしれませんが、ドイツはもともと小さな国の集まりでした。

シュタイナーは旧オーストリア(現クロアチア)出身、イエナプランの提唱者ペーター・ペーターセンはデンマーク出身。

しかし、世界的に有名な教育者がそろっている国として、やはりドイツは教育に関する意識が高かったことがうかがえます。

🔶 フリードリッヒ・フレーベル(1782~1852)

🔶  ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)

🔶 ペーター・ペーターセン(1884-1952)

 

ドイツという国と子どもへのまなざし

ドイツが誕生するまでは、20数カ国の小さな国の集まりでした。

1871年、プロイセンはデンマーク、オーストリア、フランスとの戦争に勝ち、ビスマルクの主導の下に、プロイセンを中心として、ドイツ帝国を成立させました。

義務教育学校以前の、幼い子どもたちの世話と保護と教育のための施設は、一般的に「幼稚園」という名前で知られていますが、それらの施設はドイツではおよそ150年の伝統があります。

家庭外教育施設は、ブルジョア市民層の子どもが通う「遊戯学校」はありましたが、一般の子どもたちが通う施設は整っていませんでした。

小市民層に属する職人所帯や、農民層、家内労働者ら下層階層の間では、所帯全員がたえず働くことによって生計を維持する状況が続いていました。

生存に不可欠な生計労働の労働力である母親は、子どもに必要な保護と世話を満たすことができず、そのためこれらの階級の子どもたちは生後数年間は危機的な状況にありました。

羊飼いにしろ、使い走りにしろ、労働に貢献できない幼児は一般に重荷とみなされていたのです。

子どもたちはごく幼い時期から、仕事で両親がいない間には、老婦人の経営する子守学校に送られたり、年上のきょうだいたちと一緒に普通の学校に通わされて、そこでじっと静かにしていなければなりませんでした。

さもなければ、両親が帰ってくるまで家の中に閉じ込められていました。

図:農村の子守りの風景

18世紀の後半になると、汎愛派の教育運動によって「子ども期」は教育的影響をとりわけ受けやすい局面であるとみなされるようになりました。

幼児の必要に焦点をあわせた最初の保護施設は1770年、アルザスの牧師オーベルランによって作られました。

さらに1808年にも保護施設が設立されましたが、このような最初の孤立した試みには、その後長いこと後継者がいませんでした。

1826年にイギリスの教育者サミュエル・ウィルダースピン

『子どもの早期教育とイギリスの幼児学校について、あるいは1歳半から7歳までの貧民幼児を教育することの重要性についての考察』

のドイツ語訳が出版されました。

これによって、1800年以降貧民保護が開始され、貧民層の子どもたちにたいして予防的教育の試みが行われるようになりました。

安全保障上ないし国家対策上の理由からプロイセン政府もまた、イギリスの幼児学校のシステムを模倣することを提唱し、貧民子弟の浮浪化に、前もって対処しようとしました。

 

こうしてドイツでは多くの幼児学校や託児所がつくられました。

子どもを保護することによって、貧しい親たちを子どもの世話から解放し、それによって賃金労働に専念できるようにすること。

そして、同時に子どもたちを賃金労働者という、彼らの未来運命に満足することに向けて教育すること。

幼児学校、託児所はこの二重の目的を達成しようとするものでした。

 

しかし、イギリスとは異なってドイツの場合、厳格な強制は後退し、子どもにふさわしい活動により多くの価値が置かれました。

幼児の活動様式は学校の模範に従うべきではない、として幼児の活動様式を根本的に改心したのが「幼稚園」の創始者、フリードリッヒ・フレーベル(1782~1852)です。

 

彼は「幼児に対して教育的な影響を与えることは、どのようにすれば可能か」という問いがありました。

彼の解答は、世界に適合し、世界を習得する、子どもにふさわしい様式としての遊びの発見でした。

その遊びとは、個々の子どもの孤立した遊びではなく、母親と子どもとのあそびを促進するような相互作用でした。

フレーベルのつくった恩物は、自然哲学の原理にしたがって構成されたもので、遊びを通して秩序を発展させるものでした。

図:第一恩物のリトグラフ 1838年

1840年代の末以降、フレーベルの努力は多くの教員組合に認められましたが、1848年最初の民主主義革命の試みが失敗に終わったとき、フレーベルの幼稚園は「社会主義」と「無神論」の嫌疑をかけられ、1851年にプロセイン政権によって禁止令がだされました。

禁止令は1860年まで効力を持っていましたが、フレーベルの理念と遊び理論がより知られ、より議論されるようになったのです。

 

 

幼稚園児たちの戦争体験

幼稚園における教育活動は、常に時代の影響によっても刻印されています。

そうした時代の影響は、意識的にか無意識的にか、幼稚園の日常生活に表れています。

図:1933年以降 戦闘能力への教育と母性への教育

1933年からのナチズム独裁時代には、独自に運営されるモンテッソーリ・子どもの家と初期のヴァルドルフ幼稚園は閉鎖されました。

男の子たちは幼稚園において、更新し訓練をおこない、そして「戦争ごっこ」のなかで将来になうべき役割を練習しました。

個性重視の教育、ひとりひとりの独自性を尊重する教育にかわって、服従思想へと導くことが国家的教育の明確な目標となったのです。

 

1939年までに「戦争ごっこ」は童話ごっこのような架空の遊びではなくなっていました。

子どもたちはごっこ遊びをする中で、彼らに差し迫ってくる危険や経験を理解しようとしたのです。

 

終戦直後、宗派が活動内容を新たに整えるためには、フレーベルの思想を受容するしかありませんでした。

つまり、子どもを多面的-情緒的に養育することにおいて幼児教育の諸目標は達成されると考えられたからです。

戦後の時代には、家庭というイデオロギー的ーブルジョア市民的概念や家庭に負わされる課題について議論する余地はありませんでした。家庭は生活環境の「自然な秩序」の保証人とみなされたのです。

 

ドイツにおけるモンテッソーリ教育学

マリア・モンテッソーリの幼児教育学は『幼児期の自己活動教育』が1913年に出版されてから有名になりました。

しかし、ドイツではフレーベル教育学支持者たちによって厳しく批判されました。

とりわけ、協調されたのは、生物学的、内因性の成熟過程の過度な協調、個別化した子どもの活動、遊びやファンタジーを軽視した知性偏重の活動方針でした。

これらが、フレーベル幼稚園で重視されていた関りに対して否定的に対置されたのです。

フレーベルとモンテッソーリと、これらの二つの教育システムの関係についてさまざまな見解胃が表明されましたが、とりわけフレーベル教育学の原則と合致しうる自己活動の原理が、部分的に受容されるようになりました。

 

ヴァルドルフ幼稚園

近年、ヴァルドルフ教育学の考え方はますます支持者を増やしています。

ルドルフ・シュタイナーの人智学にしたがえば、人生最初の7年の段階は生理的な器官形成の成長によって規定されます。

そのため、幼稚園での活動は「模倣」の原理に基づくことになります。

個別化された学習促進ではなく、全体的な世界把握が活動の中心に位置します。

そこでは教師が模範となることによって、子どもたちに対して、感じること、思考すること、行為することが一つのまとまりとして示されます。

子どもの心的、および器官的発達は、木の切れ端、石、貝殻、果物、紡いだ羊毛、布切れなど加工されていない自然素材が、子どもの活動本能に豊かな刺激を与えるとされます。

また、ヴァルドルフ幼稚園は、ヴァルドルフ学校の基礎として構成されています。

したがって、ヴァルドルフ幼稚園は「プログラム」の断絶なしに子どもたちをヴァルドルフ学校へ送り込むことになります。

この点では、モンテッソーリ幼稚園とモンテッソーリ学校の場合と同じです。

こうした教育プログラムの一貫性は、これらの施設の魅力を少なくとも部分的には説明してくれます。

 

刺激を受けた 早期教育

1957年、最初の人工衛星、ロシアの「スプートニク」が地球の周囲を旋回したとき、西側世界ではソビエトの科学技術上の優位に対する恐れが広がりました。

このことにより、科学技術的世界が要求するものに対して、子どもたちをよりよく適合させること、を教育制度全体に新しい方向付けがされました。

現代的、科学技術的世界が要求するものに対して、子どもたちをよりよく適合させること。

そして、それによって政治体制、世界的競争において、長期にわたって有利な立場にたつこと。

このことが、教育制度に期待されたのです。

これが早期教育の始まりです。

 

 

幼稚園のあたらしい課題

60年代70年代に連邦共和国で職を見つけた外国人の子どもたちが、徐々に幼稚園に通うようになり、保育者に全く新しい課題を突き付けるようになりました。

子どもたちの抱える言語問題や、さまざまな文化的、宗教的背景。

このことは、素朴な同化でも母国語文化の自覚的な断念でもなく、二文化的な支援、あるいは多文化的な支援を拡大していくしかありません。

それによって、子どもたちが、自分の故郷の文化と訪問先の国の文化の双方に親しみを持ち続けること、そしてまた、双方に親しみを覚えるようになれることが、目指されています。

 

まとめ

ドイツではイギリスの産業革命の影響を受けて、幼児教育に大きな影響を受けました。

そこから生まれたドイツの幼児教育は、今では世界的に知られるようになります。

勤勉な国民性により、工業を発展させ、イギリスを経済的に追い抜いたドイツは、人類史上最初の世界大戦へと時代を変えていきました。

ドイツの幼児教育の歴史を見ると、フレーベルの思想が多大なる影響を与えていたことが分かります。

 

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